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戦神、月影に消ゆ

Composer : Sh.r-Y feat. 東北ずん子

教 授:帝国史の教授。相変わらず教授っぽいしゃべり方をする。

学生A:宗教学専攻。男の子。

学生B:中世帝国史専攻。女の子。古代帝国史にも造詣が深い。

学生C:商学専攻。男の子。食文化に興味がある。

学生D:文学専攻。男の子。

学生E:近世帝国史専攻。男の子。ニンジャが好き。

学生F:環境工学専攻。女の子。

 

​ ◇ ◇ ◇

 

教 授「……さて、諸君。先回の授業では、ユースデイア国についてその歴史と文化体系について解説したが、授業後に匿名でリクエストがあったので、今回は帝国暦12年のカムス戦役について講義を行うこととする」

学生B「(やった!)」

学生F「(あの子、よほど授業で取り扱ってほしかったのね)」

学生D「(すごい熱意だなあ)」

教 授「……さて、アクララバルとは帝国建国初期の英雄であり、月下戦役にて大功を挙げ、導師アーゼムから祝福を受けた帝国の祖の一人とも呼べる存在だったな」

学生C「帝国領に存在した少数民族の出自でしたよね」

教 授「そうだ。きちんと覚えていたな」

学生A「導師から祝福を受け、聖徒ウェタンダルとも呼ばれていたと文献で見かけましたが……」

教 授「ウェタンダルとは、古語で「勇ましきもの」という意味のある言葉だ。君の言った通り、彼は短い生涯において、また後世においてもそのような名前で呼ばれることもあったな」

学生A「なるほど……短い生涯というのは、今日のお話と関係があるところですか?」

教 授「その通り。では、始めよう」

 

教 授「カムス戦役とは、月下戦役の終期にあたる戦であり、建国当初の最後の戦争になる。建国から十年以上、当時まだサジリテートに首都がおかれていたが、早くから帝国はその領土を拡張しようと徐々に東進していたようだ」

学生E「ロンデルハイムより西の関所まで戦線を押し込めハキム王国軍を退けた、と以前に教わりましたが、初期の帝国はその先への侵攻はしなかったのですか」

教 授「西側の国と継戦するほどの力はさすがに残ってなかっただろうな。それに、ハキム王国も関所が邪魔ですぐには手が出せなかったということだ」

学生B「ハキム王国側の要因は正確にはわかりませんが、少なくともその頃の王国内部ではクーデターがあったのではないかといわれています。たしかその後の帝国暦26年には政権交代していたような……」

教 授「相変わらずよく勉強しているな。確かにその年にハキム王国では内乱の末に政権交代しておる。ただ、カムス戦役のころとは直接関係はないところではあるが」

学生E「(相変わらず余念がないね)」

学生C「(どうもこの授業だけ彼女のためにあるような気がしてならないね)」

教 授「ハキム王国の内乱といえば、Dには先日までの課題を出していたような気がするが……」

学生D「すみません! 授業後に提出します!」

教 授「……話を戻そう。東進中の帝国軍は、「ユーフォリア・諸部族連合」の結成時に耳を貸さなかった諸部族に対し、帝国に合流するよう働きかけた」

学生A「最初の伝道活動と呼ばれているものですね」

教 授「その通り。東進する帝国軍には必ずアーゼムの教徒が従軍し、話し合い働きかける場面では必ずと言っていいほど導師の教えを説いて回ったそうだ。ただ、それでも半数の部族しか帝国へは合流しなかったということだ。残りの半数の部族とは──」

学生B「決裂し、争ったのですね……」

学生E「同じ土地に生まれた者同士で争い合うのは、歴史だとしてもむなしいものがあるね」

教 授「ヒトとは、概して他人と争うことを必要とする生き物なのかもしれぬな」

 

教 授「さて、こうして現在の帝国領の三分の二程度を領地とした頃の話だ。いまだ東進中のアクララバル率いる東進軍は、現在でいうネルーセン市あたりで野営をしながら移動をしていた。このころはテントなどの野営資材は当然なかったので、火を焚いて交代で寝ずの番をしながら休息をとったという。今日の資料には、その頃の野営を再現したであろうという画像をつけてあるので、参考にしたまえ」

学生C「教授、これを見るに彼らは当時すでに干し肉などではなくライ麦でできたパンや簡易的なスープなどを野営で食していたように見えますが、それほどまでに彼らの食文化は発展していたのですか?」

教 授「定かではないが、従軍したアーゼム教徒の手記によれば「麦を捏ね焼いたものに野草ときのこの入った汁などをいただいた」とある。実際どの程度の出来のものだったのかはわからぬが、おそらく携行食料としてのパンはこのころにはもう現れていたに違いない」

学生C「てっきりもっと簡単な粥のようなものをメインに食していたものだと思っていました」

教 授「むしろ近年まではそうなのではないかと思われていたほどだ。その手記が、たまたま一般の民家の下から掘り起こされるまでは誰もそんなことには気づかなかったのだろう。もっとも、ユースデイアではコメがパンの登場よりも早く登場し、その調理方法まで確立されていたというのだから、かの国にも驚かされることばかりであるな」

学生F「教授、その辺はとりあえず今はいいのではないでしょうか」

学生C「いやいや、そういう民俗的知識も積み重ねることが大事なんじゃないかなあ」

学生B「そうですよッ! やはり歴史というのはただ起きたことを記録してあるものを紐解くのではなく、その土地に実際に生きていた人々の情報を積み重ねることによって、縦軸でしか見ることのできなかった歴史というコンテンツに広がりが──!」

学生F「わかったわかった、わかったから一度落ち着いて……」

教 授「君たちが熱心なのはわかった。大変よろしい。とりあえず今は授業を続行したいのだが、よいかね?」

学生B「す、すみません……」

学生D「(本当に筋金入りだなあ)」

学生A「(まあ、ねえ)」

教 授「話を戻そう。彼らが野営をしながら移動してたある日の夜間に、それまでは認知してすらいなかった他国の部隊と衝突した。従軍者の手記によれば、どうやら満月の夜に襲われたらしい」

学生A「他国って、当時東側に国は──」

学生E「それがユースデイアだったんじゃないか?」

学生A「でも、そんな東側まで?」

教 授「そうだ、その部隊は帝国との境目にある小国や部族の拠点を避けながら西進する浸透作戦を行っている途中だったようだ。ユースデイア国の歴史管理機関の書類では、西進情報軍として記録が残っている」

学生F「ずいぶん早くから版図を拡大しようとしていたのですね」

学生A「そもそもあの国は山と海で囲まれてて、なかなかこちらには攻め入ってこないものだとばかり思っていたよ」

教 授「ここからはユースデイア側の情報を元に組み立てた情報になるが、どうやら相手国の部隊もそう多い数ではなく、いわゆる斥候部隊ぐらいの少人数だったようだ。相手もこちらの野営地を通り抜けようとしていたようだったが、寝ずの番をしていたこちらの兵士が気づき、乱戦になった」

学生C「気づかれるほど接近していたんですか。変ですね」

学生B「戦を知らない私でも、通り抜けるなら距離をとると思います」

教 授「それが普通の反応だろうし、妥当な判断なのだろう。ただ、この野営地はいくつかの集団に分かれて野営をしていたため、通り抜ける隙間があまりにも狭かったようだ。仕方なく通り抜けたのが、たまたまアクララバルのいる野営地だったということだな」

学生D「つまり、ミスではなくそもそもそこしか抜けるところがなかった、ということなんですね」

教 授「さて、乱戦になったが帝国側はかなり善戦したようで、アクララバルの指揮のもと多対一にならぬように応戦した。他の野営地の兵士も駆けつけたことで徐々に相手の部隊を敗走させつつあった。しんがりをつとめた敵兵士ににじり寄ると、相手の──いわゆるシノビは目くらましをして逃走したようだ。例の書類では、「煙玉」という火薬を用いて逃走したことが記録されている」

学生E「つまりニンジャですか! いいですね!」

学生F「うわびっくりした」

学生A「ニンジャ、イイよねえ」

学生F「男子、そういうの好きな人多いよね……」

学生C「俺はカレーが好き」

教 授「カレーといえば、Cにはレポートの提出を連絡していたが……」

学生C「すみません! 授業後に提出します!」

学生A「(なぜカレーで思い出したんだ……?)」

教 授「さて、敗走したユースデイアに対し、野営中とはいえ寝込みを襲われ勝利を収めた帝国軍。勝利の喜びもそこそこに、野営を再開しようとしたところで、それまで晴れていた月空に雲がかかり、あたりはほんの一瞬翳ったという。その瞬間に、アクララバルの脇から二人のシノビが現れ、彼の喉と背を一突き。深々と突き刺さった刀を見るやいなや、彼は手に持っていた戦斧を一薙ぎし、シノビたちを両断したという。一瞬の翳りが過ぎると、そこには真っ二つの死体が二人分と、立ったまま絶命するアクララバルの姿があった、というところまで記録されているようだ。最後の部分については、従軍した教徒の記録から組み合わせている」

学生F「月下戦役とはいいますが、本当に月下で亡くなったのですね」

教 授「そう、彼の出身地方であるノルンガルド市にある記念館には、実際に亡くなったとされるネルーセン市近郊の森にある墓標のレプリカも展示されている。余暇などでその地を訪れる学生諸氏は、ぜひ一度覗いてみるといい」

学生B「すみません、質問を」

教 授「許可しよう」

学生B「そのアクララバルの死因には、実は諸説があるそうです。例えば功績を妬んだ部下から闇討ちされた、とか病死したのを隠すためにユースデイア国に罪をかぶせた、などの説は一定の支持者がいるようですが」

教 授「まあ、学会ではそのような説を声高に主張する輩も多いが、いわゆる陰謀論に近いものだ。なにしろ、複数の証拠が出ている以上はこの論説のほうが単純な信頼度は高いだろう。それに──」

学生B「歴史とはロマンを追求する物、ですね」

教 授「私がシラバスに書いていたことだ、よく覚えていたな」

 

教 授「さて、鐘がなったな。今回はここまでにしよう。次回はイシュバーン戦争についての講義にする。時間を見つけて文献を調べておくように」

 

~エリムデルブルク大学 帝国史の講義風景より~

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