Variant Cross
Composer : M-UE
教 授:帝国史の教授。教授っぽいしゃべり方をする。
学生A:宗教学専攻。男の子。
学生B:中世帝国史専攻。女の子。古代帝国史にも造詣が深い。
学生C:商学専攻。男の子。
学生D:文学専攻。男の子。
学生E:近世帝国史専攻。男の子。ロンデルハイム出身。
学生F:環境工学専攻。女の子。
◇ ◇ ◇
教 授「......さて、諸君。今日まで幾度となく目にしてきたであろう、この帝国旗について今日は解説しよう」
学生A「帝国人でこの旗を見たことがないという人はいないと思います、今更どんなお話をなさるんですか」
教 授「そのようなことを言うな、君。そういうことなら、この旗の中央にある月と十字を重ねた意匠に意味があるとしたらどのような意味だと考えるかね」
学生A「うーん、十字は国教であるアーゼム教の象徴ですよね。十字は人の交差や、天と地を分け隔てなくするような意匠になっていて、教義である「すべての生きとし生けるものは天も地も帝国の下に平等であり、『帝国の下に平等である限り』隣人に無償の愛を捧ぐべし」を象徴化したものだと記憶しています」
教 授「ほう、よく勉強しているな。確かにこの国旗の十字架については、建国の時期に人々を導き貧困を救済した導師アーゼムにちなんで施されているものだ。帝国の人々にとってはかけがえのない歴史だ。......では、月はどうかね」
学生A「月、はどうでしょうか。月をもとにした寓話や説話はあまり話を聞かないですが」
教 授「君の理解度はよく分かった。他にわかるものはいるかね」
学生B「帝国建国より前、有史以前の月下戦役とその英雄アクララバルについて、でしょうか」
教 授「なるほど、詳しい学生もいるようだ。君、よかったらそのまま解説してくれるかね」
学生B「あ、はい。私もそこまで詳細に知っているわけではないので、僭越ながらではありますが」
学生B「そもそも、帝国の建国の時期については文献も多くは残っておらず、数少ないそれらも資料によって解釈が微妙に異なっているものがその大部分を占めています。おそらく、伝聞するうちに徐々に内容に尾ひれがついたものであると思われますが。で、その建国についての資料の中でもある程度まとまった情報がある出来事がありました」
学生C「それが、月下戦役?だっけ」
学生B「そうです。月下戦役については後述しますが、その戦争により領土を確固たるものとし、導師アーゼムに導かれた我々の祖先がこの地を開拓したというのが大筋です」
教 授「すばらしい。君の成績には点数を加えておいてやろう」
学生B「ありがとうございます」
教 授「さあ、続けなさい」
学生B「月下戦役そのものについてですが、そもそも帝国人の祖先たちは帝国の北部にあるオーベルン山岳地帯より向こう側、今でいうシャガリア共和国のほうから移動してきたといわれています。その移動については貧困のためだとか、また東方のユースデイア人の侵略から逃げてきたともいわれています。当時のユースデイアはその版図を広げるべく、極東から一気に勢力を拡大していた最中で、おそらく当時の領土が最大であったのではないかといわれています。いまは極東のごく狭い領土を残すのみですが、山野を中心とした分散戦術により多くの戦役で勝利を収めていたとされます」
学生D「ユースデイアってあのシノビの国ですか」
学生B「それは昔の話ですけどもね」
学生C「でもうちの親父は今でもシノビがいると信じ切ってたぞ」
学生B「今のユースデイアは経済戦士が多数いるんじゃないかな」
教 授「ユースデイアについての講義はまた日を改めて行おう。脇道が多くなるとどっちつかずになってしまうからな」
学生B「逃げてきた先のこの地は当時、多くの少数部族が暮らすのみの肥沃な土地でした。別の視点で見ればおそらく西部に当時あったといわれているハキム王国などは先住民の邪魔さえなければこの土地を併合するつもりだったのでしょうが、今の西部国境の都市であるロンデルハイム近郊に先住していたアラクァ族を退けられずにいたようです」
学生E「ロンデルハイム北部の森のほうかな」
学生B「おそらくそうじゃないでしょうか。その辺は私の知識では詳しく解説できませんが」
教 授「アラクァ族など先住民族の歴史については私よりもモリッツ教授などのほうが詳しいが、アラクァ族は君が言った通りロンデルハイム北部の森で生活をしていたようだ。当時の土器などが数点出土している」
学生B「祖先であるユーフォリア人は、ここで導師アーゼムの教えの元、先住民族と共闘し『彼らの味方でない勢力』を撃退することをいくつかの部族に持ちかけました。ほぼすべての部族が先祖の土地を守るために共闘を受け入れ、後に帝国となる「ユーフォリア・諸部族連合」が設立されました」
学生A「しかしロンデルハイムが当時も国境のような場所にあったということは、帝国の版図はあんまり拡大していないのか? たしかもっと大きかったような」
教 授「ロンデルハイムより先の土地は「かつて」帝国領だったところが多い。そのあたりの歴史は帝国歴246年からのゲオルハルト戦争や、そのなかでもロンデルハイムの戦いあたりを履修しておくといい。最終的に今の国境に落ち着いたのは、諸君も知っての通りの1856年に行われたエリムデルブルク講和条約ではなかったかね」
学生A「すみません、勉強しておきます」
教 授「その話もいずれ詳しく話そう。では、続きを」
学生B「連合はまず、ある程度の防衛ラインを設定し、各部族の集落がその関所になるようにしました。さらにその部族の集落から多少内側に屯所などの機能を持った村が建設されたようです。ロンデルハイムなども現在と名前は違いますがその当時にできたようですね。関所である各部族が多民族などを発見したら、その村からまず兵士が部族のもとに出向き対処、次いで当時の首都として建設した北西の都市サジリテートから多くの兵を送って撃滅するという形をとりました。当時は人も少なく、たくさんの兵を常駐させておくことが難しかったんだと思います」
学生C「通商的な意味でも近くに村を置いたのは正しいだろうね。先住民族との取引もスムーズだったはずだ」
学生F「その辺はとりあえず今はいいのではないかしら」
学生E「ロンデルハイムの特産品の中に、たぶんアラクァ族由来のものがあるからその点ももしかたら君の言う通りかもしれないね」
学生B「そのような形で、しばらくは北部のユースデイア人の侵略や西部のハキム王国の斥候などを撃退していました。しかし、あるときハキム王国が斥候ではなく多数の戦力を投入してきたことがあったそうです。連合の応戦虚しく、ロンデルハイムの周辺を一度捨て、北方向に撤退しています。戦力差は10倍ともそれ以上とも書かれていました。そして防衛ラインを狭めた連合でしたが、ここで北方の部族であるマウア族から若い戦士たちが中央の兵力に加わったことで、状況が一変したようです」
学生A「それがアクララバル、なのか」
学生B「そうです。マウア族族長の息子であったアクララバルは、大柄で狩猟の技術に長け、そして心優しい青年だったそうです。彼とその仲間が連合の兵に加わると、彼らはまず兵士に夜目を養うことを進言したそうです。そしてそれは、最終的に西方を奪還することにつながりました。彼らは昼に戦うのではなく、夜襲を中心としたゲリラ的な作戦を中心にして徐々に西方へと戦線を押し返そうとしたのです。さらにアクララバルは必ず自分が先頭に立ち、時に味方をかばいながら戦いました。その様はまさに獅子奮迅、先祖代々の大ナタを振るい、十人力を発揮したといいます」
学生F「(解説もここまでくると、詳しく知っているといっても過言ではないのだけれども)」
学生D「(心なしかテンションがすごいことになってるしな)」
学生B「そうしてロンデルハイムより西の関所まで戦線を押し込めハキム王国軍を退けた彼らは、連合のため尽力したとして導師アーゼムより祝福を受けました。この時の一連の戦を、夜襲を中心とした夜間の戦が多かったことから「月下戦役」と呼ぶそうです」
教 授「諸君、彼女に拍手と敬意を。これほどの知識を有しているとはまったく驚いた。今期の君の単位は私が保証しておこう」
学生E「そういえばメイルア海やそのさらに東側についてはいつ頃勢力を広げたんですか」
教 授「それについては帝国歴425年からの百年戦役や557年からのイシュバーン戦争、その後のデンゼンドル境界戦争などを参考にするとよい。首都エリムデルブルクが創建された経緯もこの辺で学ぶことが出来るだろう」
学生B「教授。先ほどの話ですが、アクララバルたちはその後どうなったのでしょうか。私が知っている文献からは特にそういった情報は得られなかったのですが……」
教 授「彼らは文字通り英霊となった。帝国建国後の帝国歴12年、東方でのカムス戦役でのことだ。彼らの故郷である帝国北部、ノルンガルド市のほうに墓標がある。そちらを調べるとよいだろう」
教 授「ちょうど鐘がなったな。今回はここまでにしよう。次回は先ほど話に出ていたユースデイアについての講義にする。時間を見つけて文献を調べておくように」
~エリムデルブルク大学 帝国史の講義風景より~