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Eupholic Journey -7th Sector-

Composer : HellhoundZ

 それは、ある晴れた日の午前10時ごろのことだったと思う。もはや見慣れた田舎の住宅街の道を足早に進み、行きつけの図書館へ私は小躍りでもするかのように向かっていた。

 

 数日前にその日の予定を持て余し、導かれるように──本当に偶然だが──足を運んだ先のとある図書館で「ユーフォリア帝国」という国について知る機会があった(今にして思えば、そんな国もこの地球には存在しないければ出版社の名前もでたらめな聞いたこともない名前だったかのように思うが)。その一群の書籍はどれも断片的な情報しか掲載されていなかったが、そのどれもが大学を休学し時間を腐らせていた私にまるでかちりと嵌まり込むかのように、さまざまな年代・場所における物語を教えてくれた。こんなに心を躍らせたのはいつぶりだろうか、その日は月が窓を照らし始めるまで書物を読み漁り、それでも時間が足らずにこのようにして足繁く通うことになった──というわけだ。

 冒頭に戻ることになるが、もはや日課とも呼べる「帝国」通いに出かけるところで、私は昨日までのそれとは違うことが1つだけあることに気付いた。

 

 慣れた足取りで目的地の手前にある角を曲がった瞬間のことであるが、どう叙述すればよいか悩む。とにかくあたり一面が「白色に包まれた」。

 

 文字通りではわかりづらいと思うので、今一度きちんと述べるならば、白色の強い光の中に足を踏み入れたかのように、眼前がすべて真っ白に塗りつぶされたということになる。実際に光の中に足を踏み入れたのかどうかは、今となっては記憶もあいまいなので不確かだが。私が「白色」に圧倒された次の瞬間には背後の角はなくなり、世界は私と「白色」のみになってしまった。連日足しげく通ったことによる疲れだろうか、あるいはなにかしら気が動転してるのか。はたまた私はすでに死んでしまっていて、最近流行りのいわゆる「異世界転生」というやつにでも巻き込まれたのか──ごく短い時間でそんなことをぼんやり考えた。そのごく短い間にもあちこち見まわしたり、そこに確かにあった壁を触ろうとしたり少し後ろに下がったりしてみたが、元の世界に戻る様子はかけらもなかった。難しく考えても答えというやつはどうやら出ないらしい。が、なぜか「白色」しかない視界にも地面のようなものはしっかりと存在したので、仕方なく前進してみることにした。

 普通ならば、こんな異常な事態には「エーッ!!」などと叫びながら某漫画のようにひっくり返って驚くべきなのだろうが、なぜだか内心ひどく落ち着いていることに気付いた。この場所を知っており、あまつさえ懐かしさや郷愁さえ感じている。事実、どれだけ前進しても「白色」しか存在しないこの場所でも、私にとっては家の廊下を歩くが如く平然と歩くことができた。

 どれだけ前進しても「白色」しかない──と述べたが、ここで訂正しておくことにする。あの曲がり角からしばらく(といっても10分ぐらいだろうか)進んでみると、ようやく「白色」以外のものが現れた。正しくは、それもまた白色のものというべきであろうが、それまでと異なりきちんと壁らしい壁となっていたのである。その壁にたどり着くと、「白色」は白色の壁へと変化していた。来た道を振り返ることもしてみたが、同じような壁が続いていた。なにかの病院か研究施設の通路のような場所に見える。休学の際に訪れ、鬱の診断書をもらった自宅近郊の総合病院の壁に似ている。もちろん鬱などではないが、モラトリアムの言い訳としてはまずまずであったのだ。

 急な景色の変化に少し戸惑ったが、白色のリノリウムのようなその通路もそのまま進むことにした。先刻までと違い、カツ、カツと小気味良い音を響かせる──悪い意味で──見通しの良い通路を進む。やはりどれだけ進んでも壁しかない。通路にある無数の開かない扉というのは、こういう状況の悪夢ならよくあるテーマである。たしか夢占いでは、扉は「可能性」や「出入口」の意味を秘めていると書いてあったか。その扉が閉まっている状況は、世間からの隔絶など、心理的な状況が反映されているなどと話題に上がることがある。しかし、その扉すらどこにもなかった。本当にのっぺりとした白色の壁がずらっと続くのみである。

 それにしてもここはどこなんだろうか、進みながらそんなことをぼんやり考えていた私の前に、久方ぶりに行き止まりが姿を見せた。2枚の自動スライドの扉だろうか。やはりそのドアですら白色で統一されており、その扉の上には英語で「7th Sector」とだけ記されていた。第七部門?第七区画?どういう場所なのだろうか。こんな不思議な場所で英語にお目にかかるとは思いもよらなかった。7番目があるということは、ほかにもドアがあるのだろうか。しかし、見まわしてもやはりそのようなドアは見当たらない。もはや考えても答えは出ないということは私にもよくわかっていたが、思考を放棄するにはまだ早いだろう。

 それに──

 

 今しがた歩いてきた、私の後ろにあったはずの廊下は、きれいさっぱり消えていた。

 

 廊下にたどり着く前の、あのただ白いだけの空間になっており、前に進むこと以外には私に許されていることはないようだった。

 いよいよその扉の前に到着したけれども、扉はしんと静まり返り開く素振りはみじんも見せぬままだった。さて、ここからはどのように進めばよいのやら。扉をノックでもしてみようかと、一歩近づくと。

 

「…おいおい、まさかとは思うがその手でその扉に触れるのはよしてくれ。僕はいわゆるケッペキというやつでね、君が清潔でないというつもりは毛頭ないがそれは我慢できそうにもない」

 

 草臥れた、それでいて透き通る声だった。どこを見まわしてもそんなものはないが、確かにスピーカーのようなものから聞こえた気がする。扉の向こうの主の声だろうか、たしかに私が扉へ手を近づけたことへの警告であった。見えないカメラ? あるいは透明人間? きっとこの時の私は怪訝な顔をしながらあたりを見まわしていたのだろう。

 

「きょろきょろしたってなァんにも見つからないと思うけどね」

 

「…それなら姿くらい見せてくれたっていいんじゃないでしょうか? あなたは少々意地悪だと思いますけども」

 

「まあそう焦らないでよ、今ドアを開けるからさ」

 

 その一言が終わるやいなや目の前のドアが文字通りスッと消え、中の部屋が顔を覗かせた。先ほどまで白一色の空間を見ていたせいか、その生活感のある部屋に特別色彩を感じた。相変わらず白で統一されていることには間違いないが、研究室の様相を呈したその空間には用途のよくわからない機械類が溢れ、ホログラムのように薄く宙に浮くモニター類は絶えず何かの数値を表示していた。アニメや映画で見るハッカーの隠れ家か、マッドサイエンティストの秘密研究所だ。そのSFじみた光景に交じり、脱いだままの白衣や食べかけのスナック菓子、乱雑に積まれたゴシップ雑誌があちらこちらに集落を形成している。ケッペキなどという割には、声の主はずいぶん雑把な性格をしているようだ。

 周囲をしげしげと眺めながら声の主を探していると、奥にあった大きなPCチェアがくるりと回転し、声と同じぐらい草臥れた青年が現れた。いや、壮年だろうか。歳の見た目はよくわからないが、長年の着用ですっかりくたくたになった白衣をまとっている。

 

「初めましてというべきか。とにかくよく来たね、君」

 

「…色々と説明が必要なんですがね、その辺はどう話してくれるんでしょうか」

 

「ああ、まあこれからぼちぼちさせてもらうところさ。とりあえず、その辺に座っておくれよ。ここまで歩き疲れたろう」

 

「無駄に長い距離を歩かされましたからね、お言葉に甘えます」

 

 初めて会話する相手だというのに、特に緊張することもなく嫌味をいっている私を、私は客観的に変だと感じた。初対面の相手にここまで物を申せるほどたいそうな性格はしていないのだが、一体どういうことなのだろう。

 白衣の男の指したあたりを見やると、これまた草臥れたソファが鎮座している。折り重なった雑誌をどけて、どうにか腰を落ち着ける場所を探していると、マグカップを差し出す手が眼前に現れた。

 

「あ、ありが──」

 

 言いかけ、言葉を失う。

 先刻の文字通り、手そのものが浮いていた。正しくは、前腕部のみが宙に浮いているというべきか。ただし、それは人のそれではなく、白磁のようにつるりとした金属でできているようである。重力に逆らうかのようにふわふわと浮かぶ腕は、白衣の男の背中部分へと移動すると、彼の背中に溶けるように消えていった。

 

「すまないが、インスタントコーヒーしかなくてね。それで我慢してくれ」

 

「…全部含めて説明してくれ。情報が多すぎて何が何やらわからない」

 

「説明すべきことは色々あるんだけど、とりあえず僕の話から始めようか。君たちの言葉を借りて言うならば──」


 

「そうだな、僕は神というやつだ」


 

 

 手渡されたコーヒーが冷めるころには、ある程度の事情は把握した。といっても、彼──仮称マグヌスが自身を神と名乗った段階である程度事情を呑み込む目星はついていたのだが。神の住まう部屋が存外生活感丸出しであったことと、いわゆる不思議な力ではなく機械の力を頼りにしているらしいこと以外は、すんなり理解することができた。通常、このようなことが起きれば人は理解に苦しむどころか、理解を放棄し泡を食うのがせいぜいというところであろうが、ここでも妙なことが起きているらしい。

 

「…それで、つまるところ私は神であるあなたに導かれて異世界転生するということでいいんですかね」

 

「一体君は何を聞いていたの? 僕がいつ角〇グループに喧嘩を売るような壮大なストーリーを語ったというのだね」

 

「いや、まあとりあえずここがヴァルハラで私がエインヘリヤルとして戦場に赴くところまでは聞いていたんですが」

 

「一言も言ってないね。びっくりだ」

 

 マグヌスはすっかり冷めたコーヒーを啜りながら嘆息した。正直、冗談でもいいたくなるのが今聞いた話の感想なのだ。私がこれまで暇さえあれば読みふけってきていたあの「帝国」に関する書物は、実はすべて実在しない書物であり、そしてそれこそが神たる彼の思惑に必要なものであった。書物の存在を認知している私は、彼の言うところである「観測者」としての要件を満たしており、今日こうしてノコノコ招かれてきたということらしい。

 

「君は、並行世界という概念を知っているかな?」

 

「ええ、まあ多少は。自分が辿らなかった行動のさきにある世界、理論上分岐しているはずの観測しえない状況のことだと理解してますが」

 

「そりゃ多世界解釈の方だろう。あの解釈は確かに正しいが、それを証明する術がないのが歯がゆかっただろうな。いわゆるバタフライ効果というやつが波及する世界だ」

 

「…あなたのその言い方からすると、やっぱり異世界の方じゃないか」

 

「ああ、結論から言えばそうなるんだけど、異世界転生をするわけじゃない。君は「観測者」として、あのユーフォリア帝国を取り巻く世界へ赴き、可能な限りのすべてをただ「観ていればいい」。君にできること──あの世界に干渉できることは何もない。本当にただ観測することしかできないんだ」

 

 観測者。つまり、望遠鏡を覗いてただ観測することしかできないということだ。私はこれまでもその「観測者」として、文字上に踊る帝国の物語を追ってきた。その行いを、今度は文字ではなく映像──というより実体験として傍観することになるのだろう。

 

「今君がいるこの世界は、事象界…つまるところより大きな世界全体の中では、小さい存在にすぎない。一番大きな世界の括りをブドウの木と置き換えるならば、この地球を含む宇宙はその中のブドウ一房のさらに実一つでしかないということだよ。実の一つひとつに大なり小なり世界が広がっているわけだけど、その中の一つこそが君の観測してきた世界だというわけだ」

 

 ふらりと立ち上がり、絶えず何かの数値を表示し続けるモニター類を眺めながら彼は言葉を続ける。

 

「己が見えている世界は、それが本当の意味ですべてではないことをどうやっても認識することはできない。世界の広がりは、すべからく観測とともにある」

 

「どういう意味だ?」

 

「なに、君の旅が終わりを迎えるころにはきっとわかるさ」


 

 

 些細な問答ののち、彼の案内に従って研究室の奥にあった通路を進み実験室のように見える小部屋まで移動をした。その間にも、質問を続けた。

 

「そういえばここへ来る途中、「7th Sector」という看板があの部屋の前に掲げてあるのを見たんだが、あれは…?」

 

「文字通りさ。あの部屋は第7区画、第七研究部門ですよっていうだけの意味だよ」

 

 やや考えて。

 

「まあしいて言うなら、君たち人類にとって最も大事な研究をしている…とでも言っておこうか」

 

 大仰な口ぶりからも、彼が何かを隠していることはすぐにわかった。わかったからといって、私は別に真理を追究したがる性分でもない。ましてや彼はまがいなりにも自称・神なのであり、異空間に無理やり連れてくることができるような相手に対して実力で情報を得ようなどという無謀さはあいにく持ち合わせていなかった。

 質問を続ける間も通路の様子などを注意深く観察したが、結局先刻通ってきた場所と何ら変わったところはなく相変わらずフラットな壁が続くのみで、窓やドアのようなものも見当たらなかった。件の実験室も、変わったところはなく相変わらずドアがスッと消えて中の様子をうかがえるようになった。あまり大きくはない部屋だが、中央にこれぞ転送装置とでもいうかのようなどでかい装置が置かれ、隅のほうにはいくつかの計器と制御装置が置かれている。しかし疑問だったのは、

 

「神のクセに、やたら機械を信奉するんだな。もっと不思議な力でかなえてくれるんじゃないのか、色々と」

 

「それはきっとポッケだろうし、多方面に喧嘩を売るつもりもないんだがね、僕は。それと、神とは名乗ったが神の力が使えるような、テンプレートな神様はずっと休業中だよ」

 

 マグヌスは部屋の制御装置を慣れた手つきで操作しながら答える。彼の操作に合わせ、中央の大きな装置はその各所から圧力を調整する音や電子音が聞こえ、複数の計器に表示されている数字は絶えず変化しながら、やがて一定の数値に収束していく。それを寂しげとも愛おし気ともとれる表情で彼は見つめている。

 

「…まぁ、そういう意味では神ではなくただの研究者に過ぎないだろうね。僕も、僕を取り巻くこの施設も」

 

「それは一体──」

 

「さァ、おしゃべりはここまでにしておこうか。そろそろ時間だ」

 

 促され、中央の台座に移動する。彼がタクトを振りオーケストラを指揮するかのように装置を操作する。私の足元がすぐに淡く光りはじめ、旅立ちがすぐそこまで来ていることに気付いた。

 

「なあ、拒否する暇もなくここまで来てしまったが、結局どうすればいいんだこれは」

 

「別にやめたければ今すぐ言ってくれればいい。もちろん君はやめないだろうが」

 

「そうかもしれないが、私があの場所から確かに消え去ることで色々あるだろう? その、不都合なことがさ」

 

「誰もが好きなご都合主義さ。その辺りはどうとでもなるから君は気にしなくていい」

 

 いよいよ台座はその輝きを増し、装置は加速するような甲高い音を上げ始めた。おそらく短い人生の最初で最後の転送装置体験であることにいまさら気が付いた私は、ひそかに興奮した。この後に待ち構える一番短く、そして一番長く、最も偉大な旅路に。なによりこの状況に。

 

「気を付けて。…良い旅を」

 

「──っ」

 

 私が最後に発しようとした言葉は彼に届いたのか。果たして真相は、私が次に目を覚ます時までわからないままだった。


 

 

 気が付くと、見晴らしのいい丘の上に私は倒れ伏していた。遠くには港町が見え、かすかに汽笛の音が聞こえる。旅立つには絶好の場所であることは間違いなさそうだ。しかし、一体ここはどこなのだろう。

 本当に──

 

「本当に、別の世界に来てしまったんだな」

 

 立ち上がって景色を一通り眺めている私のすぐそばを風と共に数羽の海鳥が飛び去って行く。その心地よさに浸りながら、先刻までの会話を思い出す。

 帝国のある時代、と彼は言ったが、あの様式の港町があるのはおそらく中世前期頃であろう。参照したことのある文献を頼りに、まずは情報を得ようと一歩を踏み出した。

 

~帝国歴????年 見晴らしの良いどこかの国の丘の上から~

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