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Eupholic Journey -Dynastic War-

Composer : AscalØn

 

 王侯血戦。帝国という、巨大な利権をめぐる血に塗れた歴史。

 私がここへ来る前に、あの図書館の書物の中でキーワードとして何度か登場していた出来事。その言葉自体は覚えていたが、私はまだその言葉の真意を知らなかった。

 少なくとも、この瞬間までは。


 

 あの第7区画から帝国を含む世界に飛び込んでから、私は随分と旅をしてきたように感じる。始まりの丘(などと格好つけて呼んだりしている)に降り立ってからは、まずすぐふもとに見えた街へ向かい情報を集めた。その時代がいつで、ここがどこなのか。私をここへ送り込んだ自称・神が話していた通り、「あちら」へは私の声も姿も届いておらず、私の後方からやってきた馬車は私の体を貫通して過ぎ去っていった。一方で私も物体には干渉できず、露店に見るからにおいしそうなリンゴが並んでいるときには思わず手に取って眺めそうになったが、触れようとした手からはリンゴの「おいしそうな」味覚情報を脳が知覚した。不思議な気分だが、嗅覚を通して知覚していないので、正しく表現はできないが「味気なさ」が目立った。

 一方、食べ物以外のものも知覚情報として入手することができた。例えば新聞。英語やドイツ語のように見えるが知らない言語を使用しており、文字は全くと言っていいほど読めない。そして、当然のように新聞や本の類は物理的にページをめくることができない。ただ、触れた瞬間にそのものの情報が「入り込んでくる」ことが分かった。正確には、頭の中で電子書籍を閲覧するような状態だろうか。その好き嫌いはおいておくとして、その方法でいくつかの情報を入手することはできた。

 

 そして、これが最も重要な情報であると思うのが「私がそのタイミングで得られる情報をすべて得て翌日の朝を迎えると、別のタイミング軸に自動で移行している」ということだ。わかりにくいかもしれないが、例えばA年の事件のタイミングに私がいるとして、その事件について得られる情報をすべて得てしまうと、翌日にはBの事件の起こるタイミングに「切り替わる」のである。自由に移動することができないのが難点だが、時間の経過を確実に経ないといけないわけではないのは救いだった。数百年をそのまま生活するのはおそらく途方もないし、想像もつかない。

 幾度か経験し、時間軸の切り替わりにも慣れてきたころ、この現象について二つ気づいたことがあった。時間の移動の仕方については、時間の流れ通りの移動ではないということだ。Aの事件の後にBの事件へと移るとして、AよりBのほうが必ず後の時期であるということはないようだ。そして、これらの時期の移動は必ずある時期へと収束していくかもしれないことが分かった。(まだすべての旅を終えていないので、そのような言い方になってしまうということである)

 ただ、少なくとも今現在の「ある時期」というのが──

 

 「帝国暦1283年、か」

 

 起床して、部屋においてあった新聞に触れると、今日の日付や街での話題について一通り情報を頭に入れる。これは、時期が変わってから必ず行うルーティンとなっている。私としても、書物にも乗らない街の話題について触れられる貴重な機会の一つとなっており、ひそかな楽しみでもある。前回の時期よりいささか古い年であり、まだこの時代にはいわゆる活版印刷などというものはないようだ。私が手に取ったそれは、私が宿泊している(ことになっている)ホテルの用意した、新聞というのもおこがましい手書きのメモのようなものであった。

 

 「この時代ではまだギルドの影響は小さそうだな、新聞にもギルドの広告が載っていない。しかし、まさかと思ったけどこのホテルは帝都にあるホテルなのか」

 

 ニュースの内容が帝都のものが多く、もしやとは感じていた。どうやらここは、帝国の首都たるエリムデルブルクなのだろう。建国当初の首都、サジリテートから遷都したのは年代的にももう数百年前になる。豪雪地帯にあったサジリテートは、冬が長くとても寒い街だったが、ホットウイスキーと香辛料のきいたブルストを楽しむのには十分だった。最も、私は直接何かを口にすることはできないので、その感覚だけを楽しんでいるわけだけど。

 それから、ギルドとは商業組合のことだ。後年──だいたい1400年前後には結成されており、商店・鍛冶屋・旅館などの経営者が加入する互助組合である。ギルドの持つ権力ははじめこそ大きくなかったものの、その加入者が増加するにつれ比例するように大きくなり、1600年ごろには帝宮も決して無視できない規模と実力を備えるまでに成長し、商業以外の分野でも幅を利かせるようになるのである。ただ、この年代にはまだ互助組合はできておらず、せいぜいが近隣の商業者で相互に情報交換をしている程度だと思われる。

 軽く身支度をしてからホテルを出る。もちろんドアの類には干渉できないので、それをすり抜けることになる。滞在していた部屋は、おそらく空き部屋だったのだろうが、帝都のホテルに空きがあること自体違和感がある。偶然ではないだろうな、と私は露店の果物に触れながら考える。帝都に運ばれてきた食材は、鮮度もどうやらあまり高くないらしく、今しがた触れたブドウからは熟れかけの味がした。全体的にレンガ造りの家が多く、元の世界の時間で数年前に元の世界の家族で訪れた西洋諸国の街並みを彷彿させる家が多い。そういう点でも、辺境の農村とは大きく文化のレべルが違うことを意識させられた。商業都市などでは、比較的大きい都市であれば帝都と遜色ない街並みが広がっているが、中小の都市ではそうでもない。物流と人流の多さは比例するとはいうが、初めてそのことを意識させられた。 だが、歩く通りという通りに人影はあまりなく、どこか寂しさと得体のしれぬ恐怖が満ちていた。

 

「帝都だというのに人があまりいないのはどういうことなんだろう」

 

 商業系の店を出している中央の通りに入っても、行き交う人の数に変化はあまりなく、またその数少ない人々もみな一様に足早に通り過ぎようとしている。店主たちにも活気はなく、数人の客とのやり取りも何かの視線を恐れているかのように、周囲を見まわしながら行っていた。近寄って、会話を聞いてみることにした。

 

「……なあ、結局のところあの噂は本当なのかね」

 

「おい、憲兵がどこで聞いているかわからないんだぞ。めったなことをいうな」

 

「わ、悪ぃ……。あ、すまねえがそのニンジンを5本くれ」

 

「はいよ。まあ、なんだ。俺は真実なんじゃないかって思ってるけどな、その話は」

 

 買い物のやり取りに混ざり聞こえてくる、「あの噂」というワード。二人のおどおどとした空気と、憲兵を恐れる姿勢から政治的な噂であろうと私は直感で判断した。某国の秘密警察ではないが、市民の中にも密告者というのは実際に存在する。彼らは憲兵に告げ口をする代わりに身の安全と報酬を得て生きている。そのことを彼らは恐れているのだ。

 

「今じゃ、アウィンスター家のお歴々と傍系のオーランド家、北のネルプルグ家、バフレスク枢機卿閣下らの領地は互いに行き来できなくなっているらしい」

 

「それじゃあ、本当に一触即発状態じゃあないか」

 

「実際、アウィンスター領なんかは入領に際して厳しい検査があるらしい。女子供でも容赦ないんだとよ」

 

「へえ、そりゃまた厳しいことだ。市井にも降りかからないといいんだけどよ……」

 

 アウィンスター家とオーランド家、それにネルプルグ家、バフレスク家。前半二つはかつて読んでいた書物でも数度目にかかったことがある。「王侯血戦」について少なからず記載される際には必ず名の上がる家系だからだ。特にオーランド家に関しては、この時代の時の皇帝、跡継ぎを作る間もなく没するアルマダイン皇帝の従兄弟にあたるゲオルギウス・オーランドが「王侯血戦」の記事にて名前が必ず上がっている。皇帝の跡取りの筆頭にあたるわけだ。

 一方アウィンスター家については皇帝の血筋ではないものの、ガウス・アウィンスターという百年に一度の天才を輩出しており、その家系に対する前皇帝からの信頼も厚い。ガウスという男は、筆を握らせれば万の言葉を紡ぎ、剣を握らせれば一騎当千。眉目秀麗、社交性に富んでおり、それでいて性格に難がない、という「神が配分を間違えた怪物」という誉め言葉なのかよくわからない評判が広まっているほどだ。実際のところは知る由もなかったが、この機会にそのご尊顔を拝んでおくのも悪くないだろう。

 

「せっかく帝都にいるわけだ、宮殿でなにか話を聞くことができるかもしれないな」

 

 先ほどの二人が密談を終え、持参した皮の鞄にニンジンを詰め込んで立ち去るのを見送ると、今しがた聞いた話の事実確認をすべく歩き出した。これまでもこれからもそうだが、知ってどうこうするということはもちろんできない。あくまで私は「観測者」。その立ち位置に変化はない。なにか変わることがあるとすれば、己の価値観くらいだろう。なので、これからその事実確認を急いだところで、この歴史に変化はない。このままホテルにオカルティックに滞在し、この時期の出来事の終息を見届け、それを新聞で入手することですますことももちろんできる。だが、そうしないのは。

 

「ただ眺めているだけじゃ、つまらないからね」


 

 ◆ ◆ ◆

 

 年号を頭に入れていた関係で、先ほどは直感でなんとなくそうではないかと考えていたが、どうやら現在は本当に件の「王侯血戦」の真っ最中らしい、ということを宮殿付近の衛兵の会話からうかがい知ることができた。

 時の皇帝アルマダインが没したのが半年前のこと。彼は前皇帝の没後に齢十九にして即位すると、流行り病である熱病(これは症状から考えても肺炎の類であろう)をこじらせて即位からわずか2か月で没することとなる。治療法も確立した現代ならともかく、手探りかつ不衛生で民間療法が中心だったこの時代は、多少の病気で死に至ることは珍しくない。しかし、貴族のなかでは肥満などの生活習慣病以外が原因で死ぬことはめったになく、お抱えの医者と司祭が必ずいることまで含めて常識となっているらしかった。

 そんな彼には当然跡継ぎがおらず、また皇帝家直系の跡継ぎも誰もいないという事実上の空位の期間が生まれることになった。この状況を、長きにわたり帝国の経済と治安維持に努めてきた影の実力者たちは良しとしなかった。皇帝は太陽であり、その輝きに隠れた彼らはまさしく月のように、見かけ上は皇帝の統治の元ひっそりと活動していたが、実のところは帝国政治経済の要所をそれぞれ押さえている彼らが、チェスの試合を行うが如く帝国を運用していたに過ぎない。オーランド家は傍系とはいえ皇帝の血筋に名を連ねており、宰相たちを懐柔し自分たちに過度な利益が出ない程度の甘い汁を享受していた。アウィンスター家は表立っても目立っているが、ガウス侯爵をはじめとした一族の有力者はみな帝都の大商人への顔がとても利き、彼らを手駒とすることで市場を操作していた。彼は謀(はかりごと)についても天賦の才を持っていただろうし、金魚の糞の大商人たちもまた彼の威光にすがりたかったのだろう。ネルプルグ家は帝都周辺ではあまり大きな影響力を持っていなかったが、かつての首都たるサジリテートでは特に大きな影響力を持ち、傭兵の互助会の元締めも務めているため私兵にできる戦力では最も大きなものを得ていた。バフレスクは枢機卿であり、アーゼム教徒たちからの信頼も篤い。特に帝国は完全なアーゼム教国であるので、その影響は相当に大きいだろう。

 それぞれがそれぞれの得意な分野で皇帝の座に上り詰めることを始めた瞬間から、お互いに小競り合いのようなものが発生しているようだ。細かく書くようなことは特にないが、申請の類が通りにくくなるよう図ったり、特定のルート以外のものの商品価格を釣り上げたり。はじめはその程度のこと済んでいたのが、いつの間にか領地に入ることができなくなり、そして現在は戦争の準備までしているという。戦争ともなれば私設の兵団を傭兵でまかなうことのできるネルプルグ家が有利なようにも見えるがはたして。

 

 などという内容を業務中にだらだら漏らす衛兵など、コンプライアンスに煩い元の世界の社会人が見れば卒倒しそうな光景を後にし、私は物体に干渉できない体をフルに活用して王宮へ侵入する。宮殿のような場所など生まれてこの方目の当たりにしたこともなかったが、一目見てそれが権力者の住まう場所だということがわかるくらい、その場所はあまりにも煌びやかで。もちろん実体を持たない私なので、身分不相応だというそしりを受けるはずもないが、どこか引け目を感じている自分がいる。

 品のある白磁に金や様々の色で彩られた陶磁器。光り輝く金細工。家具や椅子の一つに至るまで、金で縁どられている。おそらくそれ以外の材質もこの場にふさわしいものを使用し作られているに違いない。そのひとつ一つを繁々と眺める余裕もなく、私はある目的地を確信し目指していた。先の衛兵の話によれば、ガウス侯爵がかねてより根回しを怠らなかった宰相たちとの「打ち合わせ」が近々行われるらしいということ、それがどうやら今日行われるらしいということなどをキャッチしていたのである。どこで行われるか、までは掴めていないのが木端の衛兵といったところか。ただ、宰相の控室自体は、掃除に入る召使いたちが「リュール宰相のお部屋はねえ……」などと最近入ったのであろう若い女中に職場のガイドを務めているあたりで把握することができた。

 目的の部屋は煌びやかさとはあまり縁のなさそうな、質実剛健をモットーにしているとでも言いたげなほど簡素な部屋だった。ブラウンを基調とした調度品に、帝国法や刑法などの法律の書物など仕事に必要なものが所狭しと並んでいる。大学の教授の部屋に近いだろうか。もっともPCもなければ空調などの家電もないあたりで、世界と時間の差を実感するのだが。その質素な部屋にはしかし、宰相の姿はない。余計なものの少ない部屋なので、多少見渡せばそこに誰もいないことは明確であった。留守だろうか。別にここでぼーっと待つこともできたが、あてもなく部屋を見て回るうちに、その部屋の奇妙な点に気づいた。

 

「ここの本棚、動かした形跡があるな……」

 

 ある一つの本棚の足元だけ、僅かに敷かれた絨毯に圧力のかかった跡が見られた。元々この本棚は、この跡のついた位置に置かれていたに違いない。推理小説にハマった時期には、ドラマの微細な表現でよく犯人を当てようとしたものだが、こんなところでその培った力が生きてくるとは思いもよらなかった。ただ一つ違うことがあるとすれば、小説なら主人公が本棚をずらす機構を探しあて、ゴゴゴゴ……と音を立てながら本棚を見届けるとそこには地下に続く階段が──というのがセオリーなのだろうが、今の私には壁や棚自体もすり抜けてしまうので、怪しいところは全て自分の体をすり抜けさせればそれで済むということである。例の棚をすり抜けて向こう側を確認してみると、思った通り小さい隠し部屋が存在した。なんということはない、大きさで言えば一般的なマンションの寝室ほどの大きさである。それを小さいと呼ぶかどうかには大きな差があるかもしれないが、前室としての宰相執務室の大きさが小学校の教室程のサイズであることを考えれば、その隠し部屋はさほど大きな部屋ではないというだけの話だ。

 そこでは、二人の大人が密談と呼ぶに相応しい行為を行なっていた。おそらく一方がリュール宰相なのであろう、もう一方の人物と比しても慎ましやかな服装や丁寧な所作からもそれが窺える。比したもう一方の人物こそがガウス侯爵なのだろうか、華美な服装はしているものの侯爵としての服装なのかというと微妙なところだ。

 宰相の方が眉根を顰めて相手に尋ねた。

 

「確かにあなた方アウィンスター家には日頃から多大な寄付金をいただいております、その事は十分承知しておりますが……」

 

「承知しておるなら話は簡単じゃあないか、侯爵閣下もただ善意で君たちに私財を投げ打っていたわけではないことも織り込み済みだろう?」

 

「そ、それは……」

 

「別に何も法律を改竄しろとか、誰かを暗殺してくれだなんて頼んでいるわけじゃないんだよ。ただ、次回の話し合いの際の給仕にうちの者を混ぜてくれ、と言っているんだ」

 

「その、大変申し上げにくいのですが、一体どのようなおつもりで──」

 

「君もわからない人だなあ、別になんだっていいだろ。君の為さねばならないことは、今日のこの場には誰もいなかった、そして次の後継者会議の際の給仕について何も問題がなかったということをみなに説明すること、そしてその時何が起こってもその話を墓場まで連れて行くこと。ただそれだけだよ」

 

「……」

 

 流石にこれはどう捉えたものかわからないが、アウィンスター家は次の帝を決める会議にて行動を起こすつもりらしい。給仕を仕込むという内容からおそらく飲み物に毒薬などを混ぜるつもりなのだろう。この時代は要人に出される飲食物には必ず毒見役がおり、毒殺を公の場で行うのは容易ではないと思われるが、彼らはそれをどのように為そうというのか。私は純粋に興味が湧いた。なにせこの世界には干渉ができない。観測者とはただ見届けるのが仕事というわけだ。今更誰かに何かを伝え、このアクションを阻止しようなどとしても、私にできることは何もないのだ。下世話な野次馬根性にも似た知識欲を満たすこと以外には。

 

「そういうことだ。きちんと協力してくれるなら、アウィンスター家は君に危害が加らないように計らおう。だが、そのことを飲み込めないような君でもあるまい?」

 

「……わかり、ました」

 

「そうかそうか! 閣下もきっと喜ぶよ、今日はすまなかったな」

 

「……いえ」

 

 時代にそぐわないくらい体の線の細い侯爵家の使者が姿を消すと、後にはやや顔の青ざめた宰相が呆然と椅子の背にもたれかかっているのみであった。本来多大にお世話になっているオーランド家に向ける顔もないのだろう。人を裏切り、嘘をつく、そうした後ろめたさは心に大きな傷を作る。彼の善良な心にもきっとぱっくりとした傷ができることだろう。そしてその傷は彼が母なる死に抱かれるその時まで癒えることはない。


 

 ◆ ◆ ◆

 

 宰相の部屋を後にし、王宮の中を当てもなくふらふらとしながら思案する。そもそもこれまでに目を通したことのある書籍や、ここまでの旅の中でも「王侯血戦」に関わりのある事柄には出会したことがなかった。言葉だけは度々登場するものの、なぜそのような名前をとるのか、どんな出来事だったのかについては特に知る由もなかった。だが、この歴史が確定した時代の流れの一つなのだとしたら、この歴史はきっと。

 

 必要のない流血に思いを馳せているところに、別の話が舞い込んできた。盗みきいた衛兵の話では、前皇帝の治世の際にはサジリテートでおとなしくしていたネルプルグ家が次の後継者決めの会議に際して武装蜂起し、国ごと乗っ取ることを画策しているのだとか。先程の話を聞いてから得た情報なのでさほど驚きもしなかったが、タイミングが全く一緒なのは何かの示し合わせなのだろうか。国は違えど同じような話はこれまでもいくつか耳にする機会はあったことも考えると、やはりクーデターの類の噂話というのは好まれるものなのだろう。あちこちから帝国を危ぶむ声や一戦交えたいという威勢の良い声、頭など誰になっても一緒なので給料をあげてほしいという現実的な声まで聞こえてきた。そういった下々の事情は人類という種の一つの共通項なのだろうか。ネルプルグ家といえば、傭兵の互助会──傭兵ギルドの方では何かそういう噂は流れているだろうか。

 

 傭兵ギルド会館は帝都のはずれ、中産階級エリアよりさらに外縁に近い日雇い労働者が数多く寝泊まりするエリアにある。帝都といえど建設工事や傭兵稼業などの肉体労働に従事しその日暮らしをする人々はたくさんおり、帝都の住民数でいえば1割程度存在する。そのため、外縁のこのエリアには中心部とはまた一風異なる雰囲気が漂っており、治安維持のための憲兵も相当な人数が配置されている。まだ昼間だというのに開いている酒場、飲んだくれる初老の傭兵然とした男性、筋骨たくましい体にタンクトップのような衣服を纏いせわしなく資材を運ぶ女性、夜の仕事の時間までをけだるげに過ごそうとする娼婦たちなど、このエリアの自己紹介とでもいうべき光景がそこには広がっていた。喧嘩も絶えないエリアなのだろう、その大部分は清掃されたらしいもののあちこちに血痕が薄く残っている。そんな通りのはずれにある比較的大きな建物の一つに足を踏み入れる。大衆酒場を居抜きで改装したらしく、バーカウンターなどの設備はそのまま残っており、そこが仕事の斡旋受付となっているようだった。よくある掲示板にたくさん仕事が貼られていて、そこへ多くの仕事を探している人が群がって……というのはなく、どちらかというと閑散としている印象だ。ただ、机や椅子がいくつか置かれているのと、軽食などを提供する購買が設置されており、飲み物を購入しての寒暖に興じる人も少なくは内容だ。テーブルを占拠する2〜3グループのうち2グループは他愛もない世間話をしているようだが、端に陣取っている4人組だけは会話の雰囲気が異なっているように感じた。話している人たちそのものはどこにでもいる日雇い労働の男女に見えるのだが、

 

「きちんと準備はしてきたんだろうね、お館様にどやされるのは我々だぞ」

 

「まだ期日までは一週間あるじゃないか、それに9割ほど準備は終えてあるんだ、そう焦るな」

 

「そうはいうが、じゃあ明日になりましたって言われてもやりますって言えんのかよ、なあ」

 

「そう簡単にあの会議は日にちが変更されたりしないわよ。あんなでもお館様は有力貴族なんだよ、明日になったりしたらここへ間に合わないじゃあないか」

 

「ああ、とりあえず細かい資材以外は揃えてあるんだ。そう焦らなくてもいい」

 

「この仕事さえ終われば我々も晴れてこんな汚れ仕事をしなくて済むんだ、最後にしっかりかましてやろう」

 

 その後の話によれば、傭兵ギルドがこういったネルプルグ家の汚れ仕事を請け負っているのではなくその中に息のかかっている人間がおり、汚れ仕事を任せることができるメンバーにだけ声をかけて回っているというのが本当のところのようだ。確かにギルドぐるみでそういったことを行なっていれば、悪評も立ちやすく帝国からも目をつけられやすい。そうなると当主としては困るのだろう。まさにその帝国のクーデターを画策しているのだから。作戦が成功して、果たして彼らが本当に生きて帰ることができるのか、生きて帰ったとして口封じされないかどうかなど心配は尽きない。


 

 ◆ ◆ ◆

 

 バフレスク枢機卿の陣営もやはり同じように、会議の当日に何かのアクションを起こすつもりでいることを教徒たちの会話から知ることができた。ただ、彼については一部の上級教徒以外にはその内容を明かさぬまま、「導師のお導きの日」として情報を伝えているようだ。彼らの教義では、聖戦として他者と争うことは認められている。それにもきちんとしたルールが存在するのだが、その中の一つに「アーゼムの教えに背こうとするものを啓蒙し導くための暴力は認められる」というものがある。これが、他者への愛を説くアーゼム教への信仰の厚い帝国が他国へ侵略し領土を拡大する最大の言い訳であることは、公にはなっていないものの有名である。

 彼らが具体的にどのようにして他の勢力を「啓蒙すべき対象」だということを教徒に伝えるのかについては結局不明なままだが、いずれにしてもこのままことが進めば毒殺に傭兵の挙兵にアーゼム教徒の聖戦と、まさしく帝都は火の海に包まれることになるだろう。

 

 そのことをオーランド家はどう考えているのだろうか。今のところ他の三勢力に比べて何も噂アドが立っておらず、「ゲオルギウス様はどのようにお考えなのかしら」と中産階級の井戸田会議で議題に上がるほど不透明な状態だ。

 もっとも彼がどう考えているのかについて、私は「王侯血戦」の翌日に知ることになるのだが、そのことについてはいずれ話そう。

 

 その日の夜。睡眠自体は特に必要ではないものの、思考回路のリセットも兼ねて睡眠を取るようにしているという理由から朝起きたホテルに戻ってみると、ホテルの使用人たちが何やら騒がしくしていた。もちろん客から見えるところにいる使用人は皆粛々と仕事をしている。慌ただしくしているのはいわゆる裏方の使用人たちである。どうやら、噂の対象はあのネルプルグ家の当主であるようだった。まだ一週間も前だというのに、前乗りして宿泊するなどまるで遠足に浮かれている子供のようだ、などと考えていたが、事情は異なるらしい。実際に彼がこっそり宿泊する部屋に向かうと、部屋の前には客に扮した護衛と歓談する旅人然とした当主──メルヒオルがそこにいた。

 

「──それで、今はどちらにご宿泊なんですか?」

 

「ええ、ちょうどこの後ろの部屋に宿泊していましてね。そうだ、ここで立ち話をするのもなんですし私の部屋へいらっしゃいませんか?」

 

「おお、いいんですか! それでは失礼しまして……」

 

 などと小芝居を打ちながら、メルヒオルが護衛を案内しながら自らの宿泊している部屋へ招き入れる。旅人然としていても、別の機会に本人の顔を見たことがある私にはすぐにそれが彼であるとわかったのだ。もっとも、その機会というのは数回前の移動に際した出来事にて30年ほど前のサジリテートを訪れたことがあるからであり、その時のメルヒオルはまだ血気も盛んな10代後半だったというのだから、時が経つのは早いものである。

 

「では、報告を聞こうか」

 

 部屋に入り談話スペースのソファに腰掛けるなり、メルヒオルはそれまでのにこやかな表情から一転し、事務的にそばに立つ護衛に話を切り出させる。護衛も護衛で、廊下での歓談が嘘だったかの世にピシッとたち現状の準備状況の報告を行っている。昼間に聞いていた情報とさほど変わらないその報告の中に、一つだけ気になることがあったのを記憶している。

 

「続いてオーランド家についてですが、その……」

 

「どうした? 早く報告しろ」

 

「その、これといった動向もなく、ただ本当に会議を行うつもりで資料の準備などを進めているとのことです」

 

「……きちんと調べたのか? 次の会議では我々以外にもきっと同じことを考えている奴がいるだろうから、事前に念入りに調べなければならんのだ。それこそ私は貴族とはいえ北方都市にしか領土を持たぬし、決して有利な状況ではないのだぞ!」

 

「前帝が没してから半年、その間の話し合いもずいぶんご苦労なされたと聞き及んでおります。我々もこのタイミングを逃してはなるまいと、昼夜を問わず準備を続けておりますので、どうかご安心を」

 

「安心しろ、だと? フン、言うではないか。オーランド家の真意も含めて今一度きちんと調べ直せ! 良いな?」

 

「はっ!」

 

 手振りで退室を命じられた護衛が部屋を後にすると、ソファに腰掛けたままのメルヒオルが独り言ちた。

 

「一番にならねば、一番にならねば意味がないではないか……」

 

 その真意を確かめようとはせずに、私は朝出た部屋に戻る。今日も宿泊客はいないようだ。もちろんいても寝ることはできるし、何にも干渉はできないので問題はないのだが、なんとなく知らない人と同衾することは避けたい。精神的な安寧は、この体になってからも必要というわけだ。

 ベッドに寝転がると、今日一日の情報を頭の中でなんとなく整理してみることにした。現状、オーランド家以外の勢力については、皆何かしらの手段で玉座につくことを狙って行動しているようである。一方そのオーランド家については不透明な部分が多く、間者の暗躍も虚しい結果に終わっている。ちょうど一週間後に迫っている会議の場では、どの結末になるにせよ歴史が動くことだろう。みんな仲良く手を繋いで万歳というわけにはいかないことは確実だ。

 一週間後までどうするか考えていると、程よい睡魔が襲ってきた。私はその奔流に身を任せることにした。翌日起きてからのことは何も考えていなかったが、寝る前に翌日のことを考えても仕方なかろう。諦めて心地よい微睡に沈んだ。


 

 ◆ ◆ ◆

 

「さて、それじゃあ歴史の教科書を目の当たりにしにいくか」

 

 一週間も同じホテルの同じ部屋に宿泊したのは久々かもしれない。起床したての頭で今日が何日か把握すると、準備もそこそこに部屋を出た。きっと、この時代のこのホテルのこの部屋で朝を迎えるのは今日が最後だろう。部屋には無干渉なため、特段汚れも乱れもしていない状態だが、私はホテルに向けて恭しくお辞儀をすると、朝の情報収集をあちこちで行いながら王宮を目指すことにした。

 

 その後の一週間は各陣営とも準備に余念こそ無かったものの、特筆すべきイベントもなく会議の当日を迎えてしまった。王宮はいつもと変わらず気品に溢れていたが、前日までとは異なり慌ただしさと得体の知れぬ恐ろしさに満ちていた。それが具体的に何に起因するのかは、もういうまでもないだろう。侍女たちの会話から、会議は特別応接室の円卓にて行われることもわかった。相変わらずセキュリティ意識の薄い使用人だなどと余計なことを考えつつ、その場所へ入った。

 会議はちょうど今から始まるようで、侍女たちが無駄のない所作で机の上へ飲み物などを準備している。風通しのためか、いくつかの窓は開いたままだ。重要な会議の場としては、いろいろと問題があるように見える。

 侍女が準備を終えた円卓では、五人の人物が相対していた。斜向かいに座っている二組四人は先日までに顔を幾度となく確認しているが、最後の人については帝位を争っている候補者とはまた違うようだ。しかしきちんと確認すれば、それは先日あの小部屋で項垂れていたリュール宰相に違いなかった。

 

「えー、本日お集まりの皆様はもうご存知の通りですが、本日で前帝アルマダイン様の崩御から半年という節目を迎えまして……」

 

「宰相、御託はよろしいので早速本題に入りませんか。この会議ののち私はすぐにサジリテートに戻らねばなりませんので……」

 

「ネルプルグ伯爵どの、お急ぎならば今すぐ戻られてはいかがかな? このたびの会議は私たちでしっかり話を進めておきましょう、もちろん結論にあなたは賛成なさるということも含めて」

 

「アウィンスター侯爵、それには及びませんよ! もちろんこの席に座っている間は責務を全うしますとも、ええ……」

 

「お二方とも、今日という大事な日に無駄な小競り合いはやめていただきたい。きっと導師様がご覧になっているはずですから」

 

「枢機卿、卿こそこんなところで油を売っている場合ではないでしょうに。人々を導く教祖の助言役という立場は、決して閑職などではあるまい?」

 

「この会議は帝国の、アーゼム様のお導きの行く末を決める意味もあるのです。私がここに着座していることに無駄なことなどありませんよ」

 

 宰相の挨拶を皮切りに、外面と言葉遣いだけは丁寧な足の踏み合いがはじまった。こんな調子でオーランド家のゲオルギウス以外のものは舌戦し、時に他の人から見えない角度で顔を顰めている。それをゲオルギウスはしばらく柔和な笑顔でニコニコと眺めている。他の三人がそれぞれ四十から五十に差し掛かる年齢となり、中には孫娘さえいる者もいる中で、ゲオルギウスは今年二十歳になったばかりである。その舌戦に入り込まないようにしているのだろう。そもそも彼自体にはまだ貴族としてそこまでの力はなく、オーランド家当主たるフィリップ4世の思惑が多分に含まれている。ゲオルギウスが帝位についた暁には、フィリップが助言という名の実質的な帝位につくことで、体裁を保ちつつ帝国をほしいままにしようしているのだろう。そういうわけで、今この場にゲオルギウスを先制して御そうとするものは誰もいなかった。

 

「ええと、それでは本題に入りますが、前帝には直接の帝位継承者を用意する時間もなく、また

直接のご兄弟もいらっしゃらなかったため、現在の筆頭は従兄弟にあたるゲオルギウス様となっておりまして──」

 

「だがゲオルギウス様は未だ成人なされてからまだ数年。帝政を司るにはいささか早いのではないか?」

 

「そのような声が上がっているのは事実でございます。ただ、ゲオルギウス様を差し置いて他に候補者がいらっしゃるかといいますと……」

 

 あくまでも伝統と帝国法に則って、帝位継承者の序列について話を進めようとする宰相に対し、ガウスがケチをつける。先日のやりとりのこともあり、どのようにこの場で仕掛けるのかは気になるところだが、今のところは真面目に会議の進行に努めているようだ。

 

「侯爵もお人が悪い。何もゲオルギウス様がいらっしゃる前でそのような言い方をなされなくとも……」

 

「ではネルプルグ伯爵はゲオルギウス様が適任だ、と結論づけるというのかね?」

 

「随分尚早な話ですな、それを決めるのがこのたびの会議なのではないですかな?」

 

 予想外の噛みつき方にメルヒオルがたじろぐ。冷や汗なのか、額に僅かに滲んだ汗を使用人が手渡すハンカチで拭い去る。そういえば気候のわりに部屋の人物たちは僅かに暑そうにしている。その微妙な暑さに耐えかねたメルヒオルが、会議が始まる前に次女が用意していた紅茶に口をつけた。ガウスの目が僅かにスッと細くなるのを、私は見逃さなかった。

 

「これは随分上等な紅茶ですな、宰相。どちらの産地のものですかな?」

 

「本日は西のロンバルディアの紅茶でございます」

 

「ああ、なるほどどうりで……」

 

「確かにこれは美味ですなあ、ゲオルギウス様もいかがですか?」

 

 紅茶の話題になり、ガウスはすかさずゲオルギウスにも勧める。これがどうやら彼の今回狙っていた本筋なのだろう。メルヒオルが宰相に紅茶の産地を尋ねたのも追い風になったことだろう。この毒殺で彼が倒れれば、継承権を持つものは直系にも傍系にもいなくなる。本来王家というものはそういうことがないよう嫡子を含めて継承者を擁立しておくことが多いと思うのだが、それがないことも含めて全てアウィンスター家が帝国を手中に収める算段なのではないかとも思えた。この後の展開は容易に想像がつく。まず倒れたゲオルギウスに駆け寄る侍女を牽制するガウス。これは誰かが飲み物に毒を混ぜたのではないか?と白々しく推理を打ち立て、その犯人を探す。犯人はもちろんガウス自身が用意しているので、犯人探しに時間を割くふりをしたのちに捕まえればそれで済むだろう。あとは正当な継承者のいない会議で、自らに有利な状況のまま継承者として承認させれば良いのだ。誰かが侍女からガウスの指示だったと真実を引き出すことに成功したとしても、下民の言いがかりだと一周すればそれでおしまいだろう。

 ガウスの思惑通りかどうかを確かめる術はないが、彼の誘いにゲオルギウスはにこやかに

 

「ええ、いただきましょう」

 

 と、疑う素振りも見せずに口をつけてみせた。宰相の顔が僅かに曇る。この後の惨事を想像して罪悪感を感じているのだろう。それとは対照的に、遠目に見てもわからぬほど微小な笑みを浮かべたガウス。そんな彼を尻目に、

 

「ああ、これは確かに良いものですね。宰相、良い働きです」

 

「めっそうもございません……?」

 

 ほんの一口とはいえ毒物が含まれているであろう紅茶を飲んでも、ゲオルギウスには何も変化がなかった。これには然しものガウス・アウィンスターといえど戸惑いを隠せなかったようで、

 

「げ、ゲオルギウス様のお墨付きだ。宰相、買い付けた店は今後贔屓にしておくことですな」

 

「え、ええ……」

 

 などと余計なことを述べている様子だ。

 それにしても、なぜゲオルギウスは毒を飲んでも平気なままなのだろうか。いわゆる高貴な血筋ゆえ、きっと特殊な訓練を受けたとかそういう事情は持ち合わせていないだろう。毒を入れ忘れたのだろうか。このままだとただ美味しい紅茶を頂いただけになってしまうので、毒殺できないと判るや会議に引き戻そうと、

 

「で、では本題に戻りましょうか。ゲオルギウス様にはまだ時期尚早ということで、どなたか別の政治経験の豊富なものがひとまず即位し、然るべき時にはゲオルギウス様が即位なさるのがよろしいのではないかと進言いたします」

 

「アーゼム教会本部としましても同意見ですな。やはりここはゲオルギウス様が大成なさるまでの間だけでも、別のものが帝位を守るというのが堅実なのではないでしょうか」

 

「私もそれに賛成ですな。どのみちゲオルギウス様にも帝王学の教育を受けていただく時間が必要となるでしょうから」

 

 三者三様だが、全員持って行きたい方向は同じなので徒党を組むかのように口々に賛成する。あとは、毒殺に失敗したガウスがこれからどう会議を進めるつもりなのか、メルヒオルと枢機卿の二者がいつ事を起こすのかというところだろうか。

 ある程度のまとまりを見せたものの大して中身のない結論に内心宰相はホッとしつつ、結論の方向性について今一度確認しようとする。

 

「では、今のお話でゲオルギウス様以外の方のいずれかで即位していただくということで──」

 

「いや、私が即位するよ」

 

 宰相が一旦話をまとめかけたところに、当のゲオルギウスが待ったをかけた。案の定、彼を除く全員が鳩が豆鉄砲を食らったかのような顔をしている。これまでこの会議に関して、前情報では特に何も準備をしていなさそうに見えていたし、いつもニコニコとしていて何かこちらのやることに口を挟むようなこともしないのがこのゲオルギウスという男だ。少なくとも宰相を含む四人はそのように認識しているらしい事は、その表情から見てとることができた。

 ところで、少し思い出したことがある。実はこの年から数年後の出来事の文献を、私はここへ来る前に読んでいた事を思い出した。ちょうど帝国が西側諸国に対して侵略を開始するのがその辺りの年なのである。あの時の皇帝の名前、なんと言ったか。

 

「ゲオルギウス様、今なんとおっしゃいましたか……?」

 

「私が即位すると言ったんだ。ユーフォリア家の再興に尽力しよう」

 

「いやいや、恐れながら申し上げますが、今しがたまでの内容についてはご承知ではなかったのですか?」

 

「ええ、もちろんわかっていますとも。議論の内容も──」


 

「この紅茶に盛られた毒のことも、ね」


 

 ゲオルギウスの表情が変わる。笑顔には違いなかったが、それまでニコニコとしていた表情から目を見開いた愉悦にも近い表情へと変化した。寒気とともに畏怖の感情が呼び起こされる。この世界に干渉できない私ですらそう感じてしまっているので、当然着席している四人は計り知れないほどのものを味わったのだろう。全員が顔を青ざめさせている。

 

「毒、ですか!? そんな、一体誰がそんなことを、それよりもゲオルギウス様はどうやって毒を──」

 

「侯爵、そんなことはね。もうどうでもいいんですよ」

 

「……へ?」

 

「あなたが私に一服盛ろうとしたこととか、伯爵が会議が拗れたら乱入させ、どさくさに紛れて私たちを抹殺させる役の傭兵をこっそり待機させていることとか、枢機卿が教徒に街中で焚き火をさせて、それを『導師のお導きだ!』として散々こじつけた挙句教会側で継承者を擁立しようとしていることとか、そういう全てはもうどうでもいいことだと申しているんです」

 

 どういうわけだかそれぞれの企みを看破されてしまい、モノも言えずに呆然とする三人。それを余所にゲオルギウスは続ける。

 

「前帝が崩御して半年、私はその間ずっと帝国全体を見ておりましたが、どうもあなた方の行動は非常に利己的でよろしいと思っておりました。ただ、あなたたちでは足りないのです」

 

そう。

 

「我が受肉するには遅すぎたのだ。そなたらは」

 

 ゲオルギウスの目が妖しく光る。口調はまだ成人したてのそれから、老成した些か時代遅れな訛りのあるものへと変化した。この男は、ゲオルギウスは何者なんだ?

 餌を欲しがる金魚のように口をパクパクさせていたメルヒオルが我に帰ると、怒りをあらわにさせる。

 

「い、一体どういうおつもりか! 我々を謀るつもりだったのですか!? もうこちらも手段を選ぶ余裕はなさそうだ──」

 

 メルヒオルが拍手を2回鳴らすと、侍女の控室となっているはずの部屋から大量の人がなだれ込む。侍女や庭師など使用人に扮してはいるが、手に持つ刃物や鈍器からそれが件の傭兵ギルドの面々だということはすぐにわかった。すかさず取り囲まれる円卓。ガウスが慄きながらもメルヒオルを非難しようとするも、

 

「よお、アウィンスター様。あんたも武勇で名を馳せているらしいが、まさか丸腰で俺らと一戦交えようなどとは考えないことだな」

 

「くっ、傭兵風情が……!」

 

 流石に突きつけられた刃を素手で取るわけにもいかず、大人しく指示に従おうとするガウスやバフレスクとは反対に、ゲオルギウスはその最中であっても堂々としている。刃を恐れていないというよりも、彼は自らに刃が向かって来ない事を知っているかのようだった。

 その態度を彼の諦めと捉えたのか、先ほどまでたじろいでいたメルヒオルが調子を取り戻しながら言う。

 

「ゲオルギウス様……いやゲオルギウスよ。すまないが、私の覇道のための礎となってもらおう!」

 

 やれ、と指示を下すと、複数の傭兵が一斉に彼に襲いかかる。ここまである種の強大なオーラを纏い、先ほどから人格ごと豹変したかのようなゲオルギウスも、流石に複数の刃を防ぐ手立てはないのではないだろうかなどと考えている横で、襲いかかった傭兵全員がその場に倒れ伏した。いつの間にかゲオルギウスの手には剣が握られており、それは傭兵のうちの一人から奪ったモノだとすぐに理解できた。倒れた傭兵たちは皆一様に胸に傷を受けており、致命傷だと分かった。まさしく目にもとまらぬ速さ。人間のそれとは思えぬ所業に、私たちは目を見張るしかなかった。

 何が起こったのか理解していなかった傭兵が、恐れも知らずに切りかかる。百戦錬磨の傭兵たちだ、何かの流派にのっとった剣術ではなく、野戦の経験から学んだ我流の剣術で隙の無く切りつけようとする。その一つ一つの軌跡がすべてスローにでも見えているかのように、ゲオルギウスはいともたやすく受け流した。お返しとばかりに逆袈裟に一閃。血しぶきが上がる。

 

「なぜ我がお前の礎にならなければならぬのだ? 立場を弁えよ人類」

 

 昼間だというのに妖しく光を放つその目で、ゲオルギウスはメルヒオルを見据えた。まだ尻の青い子供だと思うものはもはやこの部屋のどこを探してもいないだろう。彼の手にもつ剣からぱたと滴る血も、まるでそのことを証明しているかのようだった。

 傭兵たちも依頼主の指示を遂行しようとなんとかゲオルギウスに対峙しているが、内心はすぐにでも逃げ出したいに違いない。彼を取り囲む一団の足は皆震え、歯をガタガタ鳴らすものもいる。元々忠誠心も何もない傭兵でしかないので、メルヒオルとの契約関係と傭兵ギルドという組織でしかつながりを持たない。それゆえ、

 

「旦那、話がちげえじゃねえか! ひ弱な若造とおっさんを三、四人殺せばすむって話だったろうが!」

 

「う、うるさい! 黙って仕事を全うしろ!」

 

「こんな仕事やってられるか!」

 

 比較的後方にいたベテランの傭兵がこちらに背を向け部屋を去ろうとする。おそらくあの日にギルドで打ち合わせをしていた四人のうちの一人だろう四人のうちの一人だろう。その時の比較的丁寧な話し方とは打って変わり、粗野な言葉遣いになっているところからも、彼の余裕のなさがうかがえる。

 彼らがもともと入ってきた侍女の控室から逃げ出そうとして、ベテラン含む後方の数人がその方向へ詰め寄ろうとするが、

 

「ぐあっ!」

 

「勘違いしてくれるな、人類よ。我はもはやこの部屋から誰一人逃がすつもりはない──」

 

 いつの間にか彼らの前に移動していたゲオルギウスからの一閃を浴び、全員床にくずおれた。いよいよ人類を超越しているその行動に、なすすべがないと判断したのか、

 

「げ、ゲオルギウス様! 先ほどまでの非礼、申し開きの言葉もございません! このガウス・アウィンスター、どんな罰も受け入れる所存でございますので、どうか! どうかご容赦を!」

 

 先刻までの余裕は完全になくなり、小さく丸く全力で免罪を乞うその姿からは、彼が帝国全土を見ても数人もいない侯爵当人であるとは誰も想像できないだろう。ガウスは、ここが天王山だと言わんばかりの平謝りを見せ、どうにか自分だけでも助かろうとした。しかし、

 

「くどい。これは赦す赦さないの話ではない」

 

 壁に何の気なしに画鋲を刺すかのように。まだ何も活けられていない剣山に最初の一輪を刺すかのように。

 ガウスの背に、剣が突き刺さった。心臓を一刺しにされ、彼の口から大量の血が漏れ出す。

 

「ごぼっ……な、なぜぇ……?」

 

「我の姿を見たからには生かして返さぬ。ただそれだけのことである」

 

 まるで理解できないゲオルギウスの言い分を聞き届ける間もなく、苦痛と恐怖に塗れた表情でガウスは絶命した。突き刺さった剣を抜き去ると、先端部分が折れてなくなっている。もともとは傭兵が持ち歩いていた武器だ、摩耗状況からしてもかなり使い込んでいたに違いない。彼らがギルドで「この仕事さえ終わればこんな汚れ仕事をしなくて済む」と言っていたところからも、金銭的な余裕はなかったのだろう。

 適当な剣を拾い直すと、ゲオルギウスが恐怖のあまり失禁するものも出ている残りの一団に相対する。その目がバフレスクに向かうと、彼はアーゼム教の聖書をしっかりと抱きながら後ずさりする。じり、じりと距離を詰められるにつれ、彼の足元は徐々におぼつかなくなる。

 

「ど、導師様はあなたをご覧になってますよ! 今すぐこんな愚行はやめなさい! まだ間に合います!」

 

「間に合うとはなんだ、貴様ら人類が助かることか?」

 

「ぐっ……あなたも帝国のもとに生きているのならば、こんな愚行を繰り返せば罰が下ります! その前にやめなさいと申しているのです!」

 

 苦し紛れに紡がれる説教。バフレスクはおよそ人格者とはほど遠い、いわゆる生臭い人物だった。かつて読んだ文献でも、金銭のトラブルが絶えない枢機卿として名前が挙がっているほどである。もちろん利己的な性格ゆえ、この度のクーデターもあの手この手でまっとうに見える理由を作り臨んでいるようだ。ただ、そんな彼も聖職者のはしくれである自覚はあった。その自覚から(もちろん助かりたい一心ではあるのだが)、ゲオルギウスに対して正面から相対して説得しようと試みたのである。

 ただ、こと今回においては相手が悪かった。

 

「誰が罰を下すのだ。我自身に我が罰を下すのか?」

 

「何を言って……! いや、ここまで言って理解していただけないのなら、仕方ない!」

 

 話を途中で打ち切ると、胸元から十字と三日月の紋様のある笛を取り出すと、思い切り吹き鳴らした。甲高いそれは王宮の外まで響き、それが鳴り終わるや否や複数の火矢が部屋に放たれた。これが彼らの言う「聖戦」なのだろうか。窓を開けていたいくつかの箇所から火が広がり、部屋の中に延焼する。侍女や宰相が慌てふためき、水を汲んだ桶で消火しようと試みるも、消すどころか火の勢いはどんどん増していく。

 

「これは導師様の罰が下ったのです! 導師様はあなたをきちんと見ておられるのです! さあ、こうなってはもう遅いですがきちんと懺悔して悔い改めなさい!」

 

 狂気すら感じる聖職者の説得も、ゲオルギウスは一笑に付した。

 

「その導師とやら、アーゼムといったか。あやつもそのように他人に罰を下せるほど高潔な男ではなかったのだがな」

 

「一体何を言っている……ッ!」


 

「我こそが、そのアーゼムに神託を授け人々を導かせたものだと言っているのだ、愚かな人類よ」


 

 ◆ ◆ ◆

 

 なおも炎上する王宮の一角。かつて謁見の間だった場所は、火の手があちこち上がっており、天井に至ってはすでに焼け落ちてなくなっている。その部屋の主が本来座る場所には、ゲオルギウスが腰を下ろし、無残な姿の王宮をただ眺めている。

 

 あの後、恐怖のあまり逃げ出そうとしたバフレスクを真っ二つにすると、いよいよ他のものはその部屋から、ことに彼から逃れようと蜘蛛の子を散らし始めた。しかし、部屋から出ようとする寸前にすべての扉から火の手が上がり、彼らは逃げることができなかった。それがあのゲオルギウスの──自称・神の仕業なのかはわからないが、結局彼らがその部屋から生きて出ることはついに叶わなかった。

 

 アーゼム教の開祖とされる導師アーゼムは、彼が二十歳のあるとき、無貌かつ体を持たない神のような存在から、現在のユーフォリア帝国の土地は神聖な場所であり、その地に国を建て、その玉座に座るものこそ神の半身であると告げられる。その信託を信じた彼は、命じられた通り人々を導くことにし、周辺国の迫害にさらされていたユーフォリアの土地の人々とともに建国することにした。その神こそ、天地の理を超えた理外の神であるとされるが、神託の中では名を聞かなかったためユーフォリアの土地で神という意味を持つ言葉「イェド」をその名とし、イェドの半身として皇帝を選出してその血に神性が宿るとした。

 つまり、あのゲオルギウスの状態は神がその地に宿っているからなのだろうか。しかし、それだけでは説明がつかないこともいくつか残っている。どうしてゲオルギウスの中にいるであろう神は、あの三人のたくらみを詳細に看破し、どうやってあの速さで部屋を移動し、そしてどうやってあのひ弱な体で一騎当千の立ち回りを可能としたのだろうか。アレが本当の意味での神なら、それもたやすいことなのだろう。しかし、神とは本当にそのような存在なのだろうか。

 謎は深まるばかりだが、何より二十歳とは思えぬあの達観した表情には、本当の意味で老練かつ強大な何かの影を感じた。私はその彼の妖しく光る目が忘れられぬまま、意識が遠くなっていくのを感じた。

 

 帝国の中枢には、おそらく何か人知を超えた力が働いている。しかし、その帝国にも滅びは訪れるようで、追った限りの歴史でも随分先の未来のある時点から歴史は途絶えているということまではわかっている。その後の歴史が存在するのか、あるいは帝国に潜む巨大な存在がどのようにして終焉を迎えるのか。私にはそれを見届ける義務があるようだ。


 

~帝国暦1283年 帝都エリムデルブルクにて~

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