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Composer : Rapidsystem
帝国暦1299年 グラドゴール侵攻作戦
時の皇帝ゲオルギウス=イェーデス=ユーフォリアのもと、帝国の版図も徐々に拡大し大陸の4割に迫らんとする頃。関所の建設と解体―すなわち領土の拡充を繰り返す帝国は、西方隣国への侵略と平定のために、常にその最前線に総勢2万もの兵からなる西方征圧師団を配置し、昼夜を問わず進軍を繰り返した。大陸西南の国、ゼルマール王国をその圧倒的な軍事力で平定し、すぐさまその隣国ウィストニア皇国へ進軍を開始。兵站をゼルマールの民から徴取しながらウィストニアとの国境を目指した。
そしてかの国の堅牢強固な関所を夜襲により陥落させた西方征圧師団であったが、決して少なくはない犠牲を払うこととなった。この関所の陥落の功を挙げたグレイストン大隊の副官を始め貴重な戦力を失った西方征圧師団は、その弔いも済まないまま4日後には圧倒的な戦力差で国境都市であったアドテラルクを占領した。後世ではこれをアドテラルクの戦いと呼称することになる。
副官であり、唯一の親友を失ったグレイストン大隊長のエレノア・フォン・グレイストン子爵は、彼の供養を済ませたのちにウィストニア皇国首都への侵攻作戦に加わることになったのである。
◆ ◆ ◆
満天の星空。かつて、母国で唯一無二の親友と眺めて楽しんだ時と同じ光景。空などいつどこで見ても同じだと、そう思っていた。それが今は、ただただ空虚で薄っぺらい絵巻のように見えてしまう。そうなっている原因を、私自身は認めたくないが自覚はしている。
さきの戦にて、その唯一無二の親友であったディードを失ってしまった。彼のおかげで帝国は甚大な損害を出すことなくウィストニアの一部を征圧することができた、といっても過言ではないだろう。旧ゼルマール王国領ではあるが、彼を一時的な形で供養することができたのは、きっと不幸中の幸いだっただろう。戦時には、いちいち仲間を葬ってやる時間など通常は許されないだろう。平民の出のものなど、なおさらである。それを許してもらうことができたのも、皇帝陛下の思し召しと言えるだろう。
ディードは小煩い男だった。たった一人の娘として、子爵であった父の跡を継ぐべく努力してきた私は、女だてらに騎士の真似事など、と揶揄されからかわれることがとにかく多かった。もちろんそういう輩に力で負けたことはなく、剣を交わらせればその実力差を知らしめることも容易かった。しかし、心だけは如何様にもできず、揶揄われ嫌な思いをした際に「もっと強くあれ」と心に誓えば誓うほど、枕を濡らす夜も増えた。それをディードが知った日には、たとい揶揄った連中が身分の高い家の子だったとしても必ず文句を言いに行き、どこからか彼らの弱みを見つけてきてはそれを人質に私への謝罪を取り付けてきた。ところが、大半の場合には私のほうへもお小言が飛んでくるのだ。お前は子爵様の跡取りである前に女の子なんだから、女の子のまま強くなればいいんだ。男になる必要なんか、何処にもないんだぞ、と。
今にして思えば別にお小言でもなかったし、彼の言い方が気にくわなかっただけなのかもしれない。しかし、その数々のお小言に救われて私は今ここにいるのである。彼への感謝は、してもしきれない。だというのに、どうしてお前は、
「どうしてお前は私を置いて先へ行ってしまったんだ、ディード」
目の前の星空の、そのどれか一つの星に彼がいるような気がして、私はつい独り言で文句を漏らした。
作戦前日の夜である今夜は、交代で行う不寝番以外は明日に備え通常よりも早く消灯することとなっている。星空のもと、先のような考え事を悶々としていると、
「グレイストン閣下。もうすぐ消灯時間になりますので、天幕までお戻りください」
と、見回りの兵士が教えてくれた。彼らも私の事情は十二分に聞かされているようで、天幕へと戻る途中も幾人かの兵士とすれ違ったが、それ以上何かを質問してくるものは一人もいなかった。
新たに副官に就くのは、ディードについて回り良く学んでいたセスという青年だ。彼には、明日からの作戦についてまとめておくよう指示を出してあるが、ディード曰く「私なんかよりもよっぽど優秀な副官」ということで、要領よくまとめてくれることだろう。その辺りは彼にしっかり感謝せねばならない。後進の育成にも余念がなかったのも、ディードの生来の性格ゆえなのだろう。
大隊長用の天幕は、通常の兵士なら4人は余裕をもって寝ることができるものだ。簡易的な執務台もあり、作戦の概要などをここで確認することも多かった。ここへ座って資料の羊皮紙を読んでいれば、その横へ彼が必ずついてアレコレと教えてくれていた。机そのものには、なんの思い入れもない。ここにあるはずだった空間が、そこにいた人がもう帰ってはこないことに、少なからぬ寂しさを覚えた。
「いけないな、こんな気分になっていてはまたディードに叱られてしまう。はは、アイツめ、死してなお私を咎めるか」
自分からこぼれたそれが乾いた笑いであることは、自分自身でもよくわかっている。親友を失うことの大きさは、ちょっと供養してそれでおしまいとして整理をつけることなど、到底不可能なほどなのである。
フラッシュバックしそうになる悲しみをこらえようと、簡易的な寝台に横たわる。もちろん転がっていても、それで溢れそうになる思いをとどめることはできないが、昨日からの疲労もありそう長くない時間ののちに寝付いてしまった。
◆ ◆ ◆
夢を見ている。そのことを自覚できるほど、意識がはっきりしている。
目の前の光景に、かつて亡くした父がいるからだ。
しかしその父は、呼吸をしていない。ただ寝台に横たわっていた。
その父のすぐそばには、泣き縋る一人の女の子。
かつての、まだ幼い私だろう。
その時の私には、死という概念が受け入れられなかった。
優しく強く、太陽のような父。
その父が、太陽が昇って朝がきても、もう二度と起きないということ。
そのことが、幼い私には理解できなかった。
その幼い私のすぐそばには、その場には似つかわしくない服装の少年が立っている。
おそらくディードだろう。
つぎはぎの帽子を胸に抱き、不安そうに幼い私を見ている。
「...ねぇ、ディード。どうして父様はもう起きてこないの?」
「エレノア。子爵様は天へ昇られたんだ。神様のところへ行ったんだよ」
「神様のところからは帰ってこないの? なんで?」
「子爵様は、そこで神様のためにお勤めになるんだよ。僕らもいつか子爵様と同じように、神様のために働くことになるんだよ」
「どうして私を置いて行ってしまったの? 私も連れて行ってほしかったのに」
「わがままを言ってはいけないよ、エレノア。君は子爵様の後を継いで、領民のみんなのために働くって言っていたじゃないか。その領民のみんなを置いていくことは、子爵様もできなかったんだよ」
「そっか」
「ねえ、エレノア。きっと。きっと子爵様は空の上から僕らを見ていて、立派になったエレノアを早く見たいと思っているんじゃないかな。僕ならきっとそうすると思う」
「うん」
「それにね」
「なに?」
「僕自身も、エレノアが立派な領主になってみんなのために働く姿を見たいと思ってるんだ」
「......」
「そんなエレノアも、きっと一人じゃ色々困るだろうから。僕が君の助けになるんだ」
「ディード...」
「だから、明日からでいいから、子爵様にしっかり見てもらえるようにがんばろうよ」
「うん、そうする」
「だから、だからね。今日だけは泣いていいんだよ。我慢しなくていいんだ」
「うん...う”ん”...」
朧げになっていた当時の記憶が、目の前の光景とともによみがえる。その日は洪水になるほど泣き、疲れて寝てしまったと思う。その翌日からは目まぐるしいほど忙しくなった。子爵の業務というものは幼女一人に務まるものでもなく、またこれまでそういったことにはまったく顔を出していなかったので、最初のうちは執政官に教育、補助をしてもらいながら多くのことを覚えた。そしてディードもそれについて回り、私と同じように様々なことを叩き込まれた。
あの夜を境目に、またディードの言葉を境目にして、いち貴族の箱入り娘であった私は武人として強く、領主として素晴らしくあろうと努力を重ねることとなった。すべては彼のおかげだ。その彼はもういなくなり、父と同じように天に召されてしまった。だが、きっと彼も神のもとでこれまで通り精力的に働いていることだろう。
父も親友も亡くし、寂しくないといえば嘘になる。ただ、彼らの遺していったエレノアという武人ここにあり、と帝国に、帝国の外に知らしめ、民のために善き領主であり続けるためにも、私は前を向こう。
それが二人に手向けることのできる、せめてもの餞別となるだろう。
◆ ◆ ◆
その翌日から、西方征圧師団は皇都グラドゴールへ向け進軍を開始した。グラドゴール目前のヴァリー平原にて皇国本軍との全面戦争となり、双方とも甚大な被害を出すこととなる。エレノア率いるグレイストン大隊は西方征圧師団の先陣に立ち、その最前線に立ち続けた。彼女らもそう少なくない被害を出し、隊の半数を失うこととなった。三日三晩に渡り続いたその攻防は、最終的に本軍をグラドゴール内まで、押し込めることに成功する。
グラドゴールの攻略戦では、かの関所と同じように堅牢な壁をに対して攻めあぐねたものの、グレイストン大隊の活躍により開門に成功し、グラドゴール内になだれ込むことができた。開門に際しては、かつて彼女の副官が進言したように外壁の内部を燃やすことで兵士を炙り出し、防御を手薄にさせたことが大きく貢献した。
その後は一日とかからずにグラドゴールの王城まで兵士を押し込め、勝機を見いだせなくなったウィストニア皇王の降伏を受理することで戦争は終結した。
西方征圧師団長の推薦のもと、この戦争の勝利宣言は彼女が行うことになった。その時、どれほどの思いが込められていたかは、今では誰も知るすべがないだろう。
◆ ◆ ◆
満天の星空。かつて、母国で唯一無二の親友と眺めて楽しんだ時と同じ光景。空などいつどこで見ても同じだと、そう思っていた。今では、あの時と同じ光景を見ることはもうできないが、それでも。
「父上、ディード。私は、きっとあなたたちが目を見張るほど立派な領主となることを誓おう。だから、そこで見ているといい。いつか私もそちらに行く、その日まで」
~旧ウィストニア皇国領 星空を見渡せる丘にて~