Over Drive!!
Composer : Ask.A
帝国歴1298年 アドテラルクの戦い
時の皇帝ゲオルギウス=イェーデス=ユーフォリアのもと、帝国の版図も徐々に拡大し大陸の4割に迫らんとする頃。関所の建設と解体―すなわち領土の拡充を繰り返す帝国は、西方隣国への侵略と平定のために、常にその最前線に総勢2万もの兵からなる西方征圧師団を配置し、昼夜を問わず進軍を繰り返した。大陸西南の国、ゼルマール王国をその圧倒的な軍事力で平定し、すぐさまその隣国ウィストニア皇国へ進軍を開始。兵站をゼルマールの民から徴取しながらウィストニアとの国境を目指した。
◇ ◇ ◇
「パティゴナ、ゼルマールの次はウィストニア。我々の国には、休日という制度はないのでしょうか」
「弱音を漏らすな、ディード。我々は帝国の輝かしい栄光の道を建設しておるのだ」
「そうはおっしゃいますが、グレイストン閣下こそお顔に疲れが見えますよ」
「余計なお世話だ。私は皇帝陛下から騎士としての使命を賜ったのだ。たとえこの身が朽ち果てようとも、帝国の繁栄を果たさねばならぬ。休む時間こそ惜しい。そもそもお前は使命を背負っているという自覚が足りないぞ、この前の戦も――」
ゼルマール王国だった領土の平原を西南西に進軍しながら、西方征圧師団グレイストン大隊の副官ディードは上官であるエレノア・フォン・グレイストン子爵とのやりとりのなかで、上官の明らかな疲労度合いについて言及したものの、上官の使命感に滾る目を見て進言するには至らなかった。それどころか、その使命感について滔々と説教を受ける羽目になった。この女性は大義を前にすると、ほかのことが何にも見えなくなる。むしろ見えなくなるだけならまだよい。彼女に付き従う私以下部隊の面々も、その突っ走り方に揃えて走らねばならぬ。後ろを見やれば、ついてくる騎士の顔色もあまりよくはなく、皆一様に休みが欲しいといわんばかりの顔である。
「...閣下。グレイストン大隊副官として、謹んで進言いたします。どうかウィストニアとの戦の前に一度休息をお取りください。我々は負け戦を請け負ったわけではありません」
「む、言うではないか。仕方あるまい、あくまで大義の為に休息日を設けねばならぬか」
そんな上官の対応に、背後からある種の無言の意思表示を感じた。やるじゃねえかディード!とでも言いたげなのか、部下の進軍するその足音にもやや力がこもった。五月蠅い、私はあなたたちの上官だぞ、無礼な。言われてもいない部下の尊大な感謝に、言ってもいない心中の独り言で返答した。休息日はディード自身も欲していたところであったし、隊の士気の管理もまた彼の仕事なのであり、突っ走る上官の手綱を引くのもまた彼の仕事のうちだ。
咳ばらいを一つし、
「この先に村があります。補給を行わせますので、付近で野営の準備をさせましょう」
「もう夕刻も近いか。本来ならあと8マイルほど進む予定だったが―」
「8マイルも進むと荒れ地しかありませんよ、閣下...」
◇ ◇ ◇
グレイストン大隊は西方征圧師団の中でもいわゆる「一番槍」を担う。この隊の先に進んでいる帝国兵は斥候部隊である中隊3個があるだけ、あとの部隊は後方15マイル程度の部分を進軍しているはずだ。なぜこんなに離れているのかは、先にも書いた通りのグレイストン子爵の指示する進軍スピードでは、さらに多数の兵を抱える部隊では行軍中に部隊が瓦解する羽目になる。そういうわけで、(師団長のお目こぼしを受けながら)西方征圧師団の先遣隊として位置づけられているのであった。先遣隊といっても、なにも考えもなしに突撃して戦功をあげようというのではなく、斥候から得た情報と本部からの指示を総合して陣の敷設を進めたり、兵站や資材の確保を先んじて進めておくことが多い。万が一敵と遭遇したら、数によっては撤退したのち本体と合流して作戦行動に移ることもあれば、剣を抜き制圧を図ることもある。
そして今回は、
「関所、ですねこれは」
「ああ、関所だな。まさかこんなに早く到達するとは、私の勤勉ぶりにも磨きがかかっているな」
「せっかく休息日を設けたのに、その翌日からスピードを上げていてはもつものももちませんよ...」
斥候からの情報では、その時点から20マイル先に関所があるということであった。それが早朝のことである。今は正午を回ろうかというころ合いで、つまるところ進軍の速度はそういう具合である。背後に目を向ければ、給水前の馬もかくやと思わせるほど、疲れ果てた部下たちの無惨な有様が広がっていた。這う這うの体とは逃げる側の言葉であるが、今まさに悪鬼羅刹から逃げてきたのかというほど息も絶え絶えである。これでは万が一偵察にでも見つかってしまえば、勝算はない上に逃げることもできない。
「とりあえず、師団長の指示を仰ぎましょう。それまでは距離を取りつつ、部下を休ませ――」
「と言いたいところだが、そうもいかないらしいぞ?」
関所を観察するためディード達が身を隠している藪に、ウィストニア側の偵察兵が接近してきた。戦力差は十分にあり、もちろん戦闘になれば制圧するのは容易い。しかし、
「いくら数マイルあるといっても、あの関所の砲門は厄介だ」
「ええ、固定式ですがあのタイプは槍のような矢を放つことが出来るので、当たればひとたまりもありません」
今ここで事を起こせば、関所からの支援砲撃を受けかねない。そしてそれは、いくらわが隊が大隊規模とはいえまともな反撃手段に乏しい状態では、恰好の的になるだけである。子爵はそれを良しとするはずもない。そういうわけで、派手に一戦やりあうわけにもいかず、多少の後退を余儀なくされた。
敵の接近という理由を抱えながらも、さすがに情報が少なすぎるため、ディードは藪から後方の森へ身を隠して移動しながら、改めて関所を観察することにした。ウィストニア皇国の北東の都市アドテラルクから十数マイルの位置にある国境守護のための関所という事情から、平時から監視、偵察している兵士の数は多い。そして関所の壁もひときわ高く、堅牢であることが一目でわかる。そして何より、先ほどから警戒しているあの砲門だ。バリスタ、と呼ばれるらしいそれは人力では引けぬほど大きな弓の形をしており、何かしらの構造でもって身の丈ほどもある大きな矢をつがえて発射する装置のようである。精度はそこまでよくないらしいものの、普通の弓よりずっと速く、そしてずっと遠くまで射抜くことが出来、面での遠距離制圧力に非常に長けていると思われる。そんな砲門がざっと見ただけで50以上はある。迂闊に近づけば、体がハチの巣どころではなく上半身と下半身が永遠にさようならする羽目になる。攻略はあくまでもあの砲門をどうにかすることが優先事項となるだろう。
◇ ◇ ◇
夕刻を前にして、本体より伝令が届いた。西方征圧師団、その本部からの指令によれば、
「今夜中に砲門を何とかしておけ、ということらしいですよ」
「私にもそのようにしか解せぬな」
いったいどんな魔術を使えと、などと子爵がぼやくのを横で聞きながら、ディードも心中で臍を噛んだ。どうやってあの砲門を処理するか、それがわからずに撤退してきたのに「どうにかしろ」とは、あまりにもおざなりではないだろうか。そうはいっても、もう後には引けない。我々は軍隊であり、上官の命令には逆らえない。ましてや師団長からの指示ともなれば、それはすなわち帝から賜る勅命にも等しい。逆らって首が胴体と離婚する程度で済めばよいが、どのような処遇を受けるか、想像することすら恐ろしい。
「後には引けぬのだ。我々の後ろには道はないのだ」
「そうですね...」
「後に引けぬのなら、前へ進むしかない。こうなっては仕方ない」
グレイストン子爵は部下の中でも、比較的付き合いの長いものを数名選び、大隊の本陣へと呼んだ。こののち、偵察兵を拉致し、偵察兵に扮し関所に工作を仕掛けるというものであった。本来ならこんな手段は避けるべきなのであるが、愛国心の強い子爵には師団の命令に反発するという選択肢はない。当たって砕けるか、当たって砕くしか我々には残されていないのだろう。偵察兵は2人組で行動している。この中からだれか二人が成り代わって潜入することになるだろう。
だが、わざわざ危険な潜入工作に立候補しようという命知らずもそうはおらず、皆正面ではない方向を向いて押し黙っている。無理もない。兵士として死ぬために生きてきたものはおらず、独身のものには残してきた親兄弟、家庭をもつものは嫁や息子娘を祖国に残してきているのだ。
「ディード、このままではらちが明かない。他に方法はあるだろうか」
「火矢を放ったり、破城槍で門を破壊したりというのが一般的ですが、先に議論しました通りバリスタの的になるだけですね」
「そうだな、そうすると今夜中にケリをつけるにはこの手しかなさそうだ」
「...では、私ディードがその役を引き受けましょう」
もちろんディードにも残してきた両親がおり、ここで名誉の戦死を遂げることを良しとはしたくない。したくはないが、それ以上にこの愛国心の強い上官が軍務放棄の命令違反になることを認めるわけにはいかなかった。グレイストンは子爵という立場でありながら常に戦場の最前線に立ち、部下を鼓舞しながらここまで戦い続けてきた。部下を大事にし、時には火を囲んで身分を盾にせずに腹を割って話すこともあった。大隊の皆は、みなどこかでそんな子爵に救われているのである。そして、なによりも、
「そんな子爵を心から尊敬し信頼しているからこそ、私はこの任を積極的に引き受けさせていただくのです」
あなたたちはどうでしょうか、といわんばかりの目線を投げかけた。部下たちも気持ちは同じようで、ひとりまたひとりと志願者は増え、やがて陣の中は志願者と子爵だけになった。
◇ ◇ ◇
時刻は夜の九つ時を過ぎたころだろうか。世闇に乗じて関所への潜入に成功したディードとその部下ガラルは、関所1階の廊下でさも毎日通っているかのように見せかけることに必死になっていた。ここまで何人かの兵士とすれ違い、半数ぐらいが「アイツ誰だっけ...」という反応を見せていた。顔は隠れていても、やはり立ち振る舞いや所属によっては見かけないやつだと思うだろう。
「それにしても人が少ないですね、やはりバリスタのほうに人を割いているのでしょうか」
「上階の人数を減らさねば、細工など夢のまた夢だ。それに――」
後方を見やり、今夜中に脱出せねば我々の身も危ないだろうとつづけた。点呼や食事の場に顔を出せばほぼ確実に身分がばれる。そうなっては作戦の成否どころか我が身すら危ない。ウィストニアがどのような国かは知らないが、他国の間者など通常は投獄か処刑の2択である。
上階は先ほど偵察し、バリスタの構造もなんとなく把握している。木造で大型のそれはのこぎりのような段のついた固定具を用いることで少しずつ弓を引き、強力な射出を行う装置のようで、向きは上下にしか動かせない。その代わり50門備えることで、面での制圧力を高めているようであった。階がいくつかに分かれているので、一度に細工をすることは難しそうだ。しかし、すべてのバリスタに兵が張り付いているわけではない。人が少ない階層のバリスタのうち1台はすでに細工が終わっている。しかも、ぱっと見では気づかないように内側を壊してある。
問題は全部のバリスタにどうやってこの細工を施すかである。そして、バリスタの細工が終わり次第この関所から脱出せねばならない。そのために人を一か所にくぎ付けにする必要があり、
「なるべくバリスタから遠くってなると、この内側の倉庫が一番いいよなあ」
関所の内側にある、武器等を格納してある木造の倉庫の付近に兵士を集めるのが一番効率がよさそうだという結論へと至った。しかし、周辺には何人か兵士もおり、この辺りで何か事を起こせばすぐにばれてしまう。
「とりあえず燃やしてみますか?」
「燃やすのが一番手っ取り早いけど、目立たないように燃やさないといけないなこれは」
◇ ◇ ◇
野営の陣から少し離れ、数人の部下とともにエレノアは関所が見える位置まで接近した。副官のディードは今頃うまくやっているだろうか、万が一ダメでも関所に火を放って砲門の破壊は遂行するというのが彼らに与えた指示ではあるが、そのような事態にならないことを祈るばかりである。しかし、
「閣下!あれを!」
「関所から...火が...!」
ウィンストンの国境関所から、ボヤ程度では収まらない煙が上がり、火災になっていることが一目で見て明らかとなった。もちろんこれで砲門は使い物にならないだろう。だが。
「ディード、貴官に帝国の栄華を見届けさせられなかったな。すまない」
燃えゆく関所を見つめるエレノアの目には、光とはまた違う何かが宿っていた。
◇ ◇ ◇
「ああ、我が身もこれでお終いか」
燃え盛る関所の3階、書庫に立てこもるディードは独り言を発した。倉庫へ火をつけるために、2階の食糧庫でガラルがひと騒ぎを起こし、その後手薄になった倉庫へ火をつけるまではよかった。火をつける瞬間を、たまたま騒ぎに気付かなかった兵士に見られ、騒ぎはさらに大きくなった。逃走の途中、各階で火をつけて回ったため、砲門も少なからず燃やすことが出来たであろう。ガラルは逃げおおせただろうか。おそらく食糧庫に火を放ち、立てこもっていることだろうが。
「エレノア、すまない。あなたについていくと誓った身でしたが、ここでお別れです」
ディードは幼いころから仕えている上官、そして親友とも呼べる「エレノア」への別れがきちんと果たせなかったことを今更ながら後悔した。彼にとって彼女とは、辺境の田舎で主従関係はあれどともに成長してきた友人でもあった。幼い時分には、子爵令嬢ながら無茶なことばかりする彼女に振り回されもした。前子爵閣下―エレノアの父が亡くなった時には、たった一人の娘のことを任されもした。エレノアが女だてらに爵位を継ぎ、帝国騎士団に入ることを決めたときにはひっくり返りそうになった。彼女は父に似て強く優しく、周りの男にも武力で一歩も引けを取らず大隊長にまで上り詰めた。そんな彼女をなんとか支えようと、貴族でもないただの平民出の青年は泥を啜ってでもしがみついてきた。すべてはエレノアのためであった。
書庫にも火が回り、意識が薄れゆく中。関所の兵士とは別の叫び声と剣戟の音に気付いた。もしや――
「まさか、ね...」
◇ ◇ ◇
燃え盛る関所を、敵をなぎ倒しながらエレノアは進んだ。その瞳に光はなく、ただ友の仇を討つが如く制圧を急いだ。本来の軍務は「砲門をどうにかすること」だけであり、これ以上の作戦行動は命令違反なのである。だが、彼女は止まらない。
「ディード。どこにいる...助け出してやるからな、待っててくれ」
◇ ◇ ◇
結果夜明けには関所は陥落し、帝国軍の本隊が到着するころには敗走したウィストニア側の兵がアドテラルクまで防衛線を後退。グレイストン大隊は本隊と合流し、その4日後には圧倒的な戦力差でアドテラルクを占領した。
わずか2名によって強固な関所が陥落したこの戦争を、歴史上ではその後の攻城戦までを含めてアドテラルクの戦いと称している。
グレイストン大隊の副官については、アドテラルク陥落後に遺体で発見され、エレノア・フォン・グレイストン子爵自ら手厚く供養したとのことである。
~アールベリー出版「紐解く歴史④1200年~1599年」より引用~