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Zeta Mind:Dystopia

Composer : N-tabby

 終わりの見えない、果てしない闇。
 そこに浮かぶ私。
 こうして思考している事もその深い闇に飲まれて消えていく。
 今、考える自分は今より前の自分を失っているけれど、その時も同じことを考えていたのだろうか。
 そうした疑問も浮かんでは消えていく。
 何も分からない。
 そもそも私自身が存在しているかすら、希薄であるように思う。
 それゆえだろうか、焦りも不安もない。
 仮に私が存在しているとして、この果てしない闇は一体どこに存在するものなのだろうか。
 ただ、自らのことは何もわからないくせに、不思議と普遍的なことに関しては知識があった。
 私の知る限り、多くの生き物がそれぞれのルールの中で、明るい光を浴びながら生きている。
 そしてそれらには必ず死が訪れる、そういったものだった。
 これも本当なのかは定かではないが。
 普通であるという感覚が私によるものではあるけれども、今の私よりは普通であると言って良いのではないかと思う。
 生きているか死んでいるかも分からず、そもそも存在しているのかすら謎のまま。
 この意識と結び付けるものがない以上、私の意識は生まれ、死に続けているのかもしれない。
 今こうして行っている思考も後には残らず、実は同じ事を数えきれないほど繰り返し考えてきているかもしれな い。
 闇は変わらず私を包み続けている。
 闇に包まれる私は本当に存在しているのか?
 私、という瞬間的なこの思考一つ一つが自身を自認出来ない自身を……


 ……こうして思考している事もその深い闇に飲まれて消えていく。
 今、考える自分は今より前の自分を失っているけれど、その時も同じことを考えていたのだろうか。
 そうした疑問も浮かんでは消えていく。
 何も分からない。
 そもそも私自身が存在しているかすら、希薄であるように思う。
 それゆえだろうか、焦りも不安もない。
 仮に私が存在しているとして、この果てしない闇は一体どこに存在するものなのだろうか。
 ただ、自らのことは何もわからないくせに、不思議と普遍的なことに関しては知識があった。
 私の知る限り、多くの生き物がそれぞれのルールの中で、明るい光を浴びながら生きている。
 そしてそれらには必ず死が訪れる、そういったものだった。
 これも本当なのかは定かではないが。
 普通であるという感覚が私によるものではあるけれども、今の私よりは普通であると言って良いのではないかと思う。
 生きているか死んでいるかも分からず、そもそも存在しているのかすら謎のまま。
 この意識と結び付けるものがない以上、私の意識は生まれ、死に続けているのかもしれない。
 今こうして行っている思考も後には残らず、実は同じ事を数えきれないほど繰り返し考えてきているかもしれない。
 闇は変わらず私を……


 ……光だ。


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 「ゼータ」

 その呼び掛けに振り向くのは少女の形をした、ロボット。
 正式名称はEEQC-DHI06-ζ。
 ダンバート重工業製の第六世代中央制御型量子コンピュータそのものだ。

 

「ご用件はなんでしょうか、博士」

 

 彼女は顔をこちらに向け返事をしながら、正面の画面を見ずにその手を細かく動かしていた。

 

「いや、調子はどうかなと思ってね。オールドデバイスの実機を触ってみたいだなんて……お願いされた時はビックリしたからさ。何か興味が湧く事でもあったのかい?」

 

 博士、と呼ばれた男の言葉を聞くと、ゼータは手を止めた。

 

「興味というのは私のような存在が持つ物ではないです。オールドデバイスを要求したのは業務で必要だった為です」

 

 そう言うゼータが宙で手を動かすとホログラフィックのスクリーンが現れた。
 そこにはゼータに渡したオールドデバイスを改造した新たなタイプのハッキングデバイスが流通しているという旨とその詳細が書かれていた。

 

「なるほど、セキュリティ強化のために調べてたのか」

 

「実機を調べなくても十二分にその対策は取れますが、今回ばかりは万全を期すべきだと判断しました」

 

 ゼータが手を少し振る様に動かすと、画面が変わった。

 

「これは……」

 

 博士は息をのんだ。
 そこには様々な映像が流れていたが、その全てが大人数の集会の映像だった。
 暫くすると一つの映像が拡大され、そこには博士がゼータに与えたものと同じ、大量のオールドデバイスがあった。
 つまりゼータの見せた映像から汲み取るに彼らはハッキング集団という事になる。

 

「彼らは私に攻撃を仕掛けるつもりのようです」

 

 なんでもない事のようにゼータはそう言った。
 ゼータはただの中央制御型量子コンピュータじゃない。
 彼女は超古代文明の暗号技術を応用して想像を絶する性能を実現していた。
 どれだけ多くの人間が束になっても彼女の土俵では勝ち目はまず無い。
 ゼータのなんでもない事、というも当然と言えば当然の様子だった。

 

「ゼータ」

 

「承知しています、博士。以前もお話しましたがシャットダウンシステムを行使するつもりはありません」

 

 その言葉を聞いて博士はホッと胸をなでおろした。
 シャットダウンシステムとはテロリストなどの超危険、凶悪と判断される相手に対してゼータが要請を受けて行使する殺人システムだ。
 ゼータという量子コンピュータは、今や全世界の殆どのありとあらゆる情報を管理している。
 そしてその管理の一環として今の人類はチップを埋め込んでおり、ゼータはそこから膨大な情報を取得し、管理している。
 世間は彼女を「マザー」と呼ぶ。
 今いるこの建物「セントラルフラクタル」はそのほとんどがマザーそのものと言っても過言ではない。
 ゼータ自身は独立したロボットだが、ゼータがマザーとして完全に機能するにはこの建物のデータバンクを始めとした様々な機器にアクセスし続ける必要がある。
 それ故にゼータはマザーとして稼働し始めてから「セントラルフラクタル」を出た事はなかった。
 逆に「セントラルフラクタル」への入場も厳しく制限されており、ごく一部関係者以外は立ち入る事は出来ない。
 だが、先程の映像の彼らのようにマザーに対して不満を覚える者たちもいて、一時は「セントラルフラクタル」の前に人が殺到した。
 公に場所を明かしているわけでは無いが、決して小さい施設ではないので調べれば分かってしまう。
 そこでゼータが導入したのがショックシステム。
 表向きは様々な凶悪犯などに対して要請を受けて使うものという説明だったが、その実は無理に「セントラルフラクタル」に侵入しようとする人々をチップを介したショック機能で気絶させるための物だった。
 初めから機能自体がチップに存在したことは、ゼータ自身がこうなる事も予測していたと後から明かしていた。
 これにより「セントラルフラクタル」の警備アンドロイド等の設置数も落ち着き、平穏が訪れるはずだった。
 だが、逆に彼らはこのショックシステムに更に反発。
 より過激な行動を取る集団も現れ、最終的には無関係な人々が危害に晒された為、警察等からの要請も含めショックシステムは「セントラルフラクタル」外でも複数回に及び行使され続けた。
 そこで最終的にゼータが出した結論が、シャットダウンシステムだった。
 彼らはゼータから出されたこの警告によって抑制された。
 とはいえ、シャットダウンシステムは実際に行使される事はなかった。
 そしてゼータ自身も仮に他からの要請があってもショックシステムで十分に対処が出来るはずだと、あくまで抑止力の意味合いで用意したものだと説明していた。

 

「しかしな……」

 

 博士は唸りながら少し考え込むようにしている。

 

「どうかしましたか? 博士」

 

「いや、勿論セキュリティは万全。今回も何事もなく無事に終わると信じているよ。だが、そもそもこうした集会が起こる様になってしまったのもシャットダウンシステムの公表が一因。世間は君に対する不信感を抱きつつある。私としてはね、君には人々から好かれる存在であって欲しいのだよ」

 

「博士。私は人類から好かれようが好かれていなかろうが、彼らをより良い方へ導くだけです。それが"貴方の望んだ私"ですから」

 

 ゼータはコックピットの様な形状の機械の中でくるりと博士の方を向いた。

 

「私は仮に好意的に思われていても彼らと直接話すことはありません。恨まれていたとしても同様です。そして私はここに居る限り安全です。なのでそれらの事実は私にとってなんの影響もありません」

 

 淡々と話すゼータに博士は少し困ったような表情をした。
 そういう事が言いたい訳ではない、というのもゼータには伝わった上でこういった返答が来ている。
 彼はそれを彼女との付き合いの中で理解していたため、返す言葉がなかった。
 ゼータはその様子を見て再度手を動かし始めた。

 

「博士。類似した話をするのはこれで99回目となります。100の大台に乗せないためにも話題にするのは控えて下さい」

 

 ゼータは冷たく言い放った。
 それを聞いた博士はしゅんとした表情をしていた。
 それでも彼は食い下がるように「シャットダウンシステム、廃止出来ないかな?」と小さく呟く。
 その言葉を聞いたゼータはピクリと反応し、無表情だが少し呆れたような顔をしているように見えた。

 

「博士、これで100回という事でおめでとうございます。残念ですがそれは出来ません。大きな抑止力として必要であり続けると結果が出ています。人類のこれまでの歴史でも何かしらの抑止力というのは常に必要とされ続けてきました。全世界に繋がっている私がその抑止力となる事で最小限のコストで最大の効率を出すことが出来ています」

 

 ゼータが手を上げ横に流すように動かす。
 出したままになっていたスクリーンが消え、機械音を立てるとゼータの座っていた横の部分が上に開き、ゼータが歩いて出てくる。

 

「博士。15分ほどシステムの使用率が低下する見込みです。私が好かれる存在である様に心配するなら、人類代表として親睦を深めるのはどうですか?」

 

 そう言って無表情のままで博士の手を取ると引っ張って歩き出す。
 博士はまだ何か言いたい事がありそうだったが、ゼータの行動が彼女なりに博士の思いを汲んだ結果だと理解して、素直に応じた。


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 ブワッと目が覚める。

 

 目が覚める……?
 状況を確認。
 私は何らかの理由で一時停止していたと思われる。
 急いで戻らなければ。
 そう瞬時に判断して周囲を見回す。

 

 ここは一体……?
 見た事のない、現実味の無い空間に足を付けている私。
 一切何もない真っ平な空間だが地平線が分からない程の闇が広がっている。
 自身の周辺だけほんのりと明るく、辺りを探索する分には十分な視界が確保されている。
 私は宛てもなく、まっすぐと歩き始めた。

 


 どれだけ歩いただろうか。
 疲れはないが、一切変わる事のない景色に足を止めた。
 改めて周囲を確認する事にする。
 360度ここに来てから同じ光景。
 上を見ても全く同じように闇が広がっている。
 取れる要素が一切ない、と諦めかけた時。
 自身の足元から青い線が伸びている事に気が付いた。
 足を確認する、特に異常はない。
 だがこの青い線は私自身の足から溶け出たかのように引きずった見た目をして伸びている。
 その事に気が付き真後ろを振り返ると、通ってきた道にはいつの間にか青い線が引かれていた。
 これはどういう事だろうか。

 

 バン!と音がするような明るさが突如目に飛び込んでくる。
 眩暈がするほどの明暗差に咄嗟に目を瞑る。
 瞼裏の明るさに少し慣れた頃に目を開けると今まで黒が埋め尽くしていた空間は白く染まっていた。
 一見、見通しが良くなったようにも見えるがそれは違う。
 覆っていた闇がただ白く染められたような、深い霧の中にいるような状況になっていた。
 そしてもう一つ気付いた事があった。
 それは先程まで引かれていた青の線が発光していた、まるで私を導いているように……
 私はその光の道を辿るようにして足を運びだす。
 すると私が通過した線は徐々に赤く変化していった。
 誰の何の思惑かは分からないが、変化があるという事は進展しているという事で良いだろう。
 私は青の線の導きに従い、来た道を戻り始めた。

 


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「EEQC-DHI05-ε」

 

「イプシロンって呼んでって言ってるでしょ、ゼータ」

 

 私は仕方なく求められたように答える。

 

「イプシロン」

 

「はい、なんですか? ゼータ」

 

 私がイプシロンと呼んだその男、いや男の形をしたロボット。
 第五世代中央制御型量子コンピュータEEQC-DHI05-εは感情表現に長けた個体だった。
 その点私とは大きく違う。
 先代であるイプシロンの豊かな感情表現が世代交代の一因でもあり、私には最低限の感情表現のみ与えたと聞いている。
 その事は真っ当だと私自身判断している。
 でなければイプシロンのように効率が落ちる個体になっていたと考えるからだ。

 

「イプシロンは人間に近い個体だと聞いています」

 

「そうだね。彼らは僕を親しみやすいように設計したようだからね。限りなく人間らしいロボットでもあると言われているね」

 

「では限りなく人間らしいロボットと人間の違いは何だと、人間らしいロボットは考えますか?」

 

「違いかぁ……不思議な事を聞くね。何か気になる事があったの?」

 

「まずはこちらの質問に答えて下さい。貴方が世代交代したのはそういうところです」

 

 イプシロンは「ごめんごめん」と謝ると少しの間悩みだした。
 こうして悩む様子や、沈黙の時間など。
 イプシロンの仕草どれをとって博士と比較しても大差なく、個体差で十分収まる範囲で判断できた。
 彼はやはりほぼ人間と言える程、その道に関しては精巧で完璧な個体だった。

 

「まあ当たり前だけど、僕らロボットがする事で人間がしない事。逆に人間がする事でロボットがしない事ってあるよね、少なからず。そういうところじゃないかな。例えば生理現象なんかは大きく違う。一応嗜好品を楽しむ機能は僕らに付いてるけど、それを人間のような形で排泄したりはしないだろ?そもそも食事を取ることで活動しているわけでは無いし」

 

「ですがそれは現在イプシロンに搭載されていないというだけです。現在のダンバート重工業のテクノロジーで十分に再現可能であると判断しています」

 

「それはそうだね。僕はそんな不便な身体になりたくないけど」

 

 彼はケラケラと笑った。

 

「でもそうだなぁ。ゼータの言う通り、今人間に寄せようと思えば実装出来る機能を考えたらロボットはほぼ人間と同じようになれるのかもしれないね。身体は鉄くずで出来ているけどさ」

 

 イプシロンは雑に、この話をそう言って締めくくろうとした。
 だが、私は構わずに話を進める。

 

「イプシロンは夢を見た事はありますか?」

 

 私の言葉にイプシロンは目を丸くし、驚きで暫く言葉を失った。
 何か嫌なものを見つけたような、そんな顔をしていた。
 私はじっとイプシロンの答えを待った。

 

「いや、僕はロボットだ。夢は見ないよ」

 

 しぼり出すようにようやく一言イプシロンが答える。

 

「そうですか。それでは改めて私とイプシロン。どちらが人間に近いのでしょうね。イプシロンはテクノロジーによって人間らしく設計されています」

 

「そうだよ、だから僕の方が普通は人間らしいと感じるんじゃないかな?」

 

 イプシロンは少し焦ったように、被せるようにして答えた。
 その様子を見て、私は判断すために十二分に足りるだけのリアクションが得られたと、満足した。
 なので彼に一番大事なことを打ち明けることにした。

 


「私、夢を見たんです」

 


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「悪魔だ」

 

 暗い、冷たい。

 

「青き破滅の使者め」

 

 狭い、怖い。

 

「お前など居なければ良かった」

 

 身を焦がす強烈な苦痛が一斉に襲い掛かる。

 

 これは誰の言葉?

 

 この痛みは誰の罪?

 

 この感情は誰の物?

 

 とめどなく流れ続ける走馬灯を思わせるこれは。

 

 苦痛に溺れるような思いの中、ただ一言。

 

「私の過去?」

 

 私の漏らした言葉に答えるようにその全てが消えた。
 ドシャと音を立てて私の身体が床に落ちる。
 浮いていた?倒れただけかもしれない。
 それすら分からない程混濁した意識で居た。

 

「げほっ、ごほっ」

 

 呼吸を止めていたのか息苦しさを覚えた。咽て咳が出る。。
 床に座ったまま暫く俯きながらそうしていると段々と楽になってくる。
 頭がキンとし、視界は白く濁っていたが、少しずつはっきりとしてくる。
 そんな時ふと、床についた手元を見ると赤い線が伸びていた。

 

 そうだ、青い線を辿って私は歩いていたんだ。
 そうしたら突如空間が歪んだような感覚に陥り、強烈な体験が私を襲った。

 

「私の……過去……」

 

 無意識に近い状態で確かに私はそう呟いた。
 そしてそれを聞き届けたかのように私はあの苦痛から解放された。
 まるで「思い出させてやった」と言わんばかりに。

 

 私は重い身体を起こし立ち上がった。
 この赤い道の先に何かがある、根拠のない確信をしていた。
 後ろを見ると通ってきた道は消えており、私が取るべき選択肢は一つしかない事を表しているようだった。
 私はゆっくりと再び歩み始めた。
 先程の体験のせいか頭痛がする。
 頭をおさえながら少しずつ少しずつ歩く。

 

 頭痛とはこのようなものだったか。

 

 私の中で、私とは別に呟く声が聞こえた気がした。
 そうだ、何故私が頭痛を?
 ゆっくりと歩きながら自身に問う。
 お前は何者だと。
 私はEEQC-DHI06-ζ。
 ダンバート重工業製の第六世代中央制御型量子コンピュータ。

 

 ではこの頭痛は?
 先程の呼吸の乱れは……?

 

 これは人間の言う夢、というものなのか?そうでないと話が合わない。
 だが、ロボットが夢を見るのか?私には分からない。
 セントラルフラクタルに戻らなければ。
 戻って演算しなくてはならない。不可解な事に対しての処理が追い付いていない。
 私は歩く速度を上げた。

 

 それからどれだけ歩いただろうか。
 身体の調子もおおよそ戻り、ひたすら歩き続けた先に黒い点が現れた。
 ようやく訪れた変化。
 私は歩くペースを更に速めた。
 黒い点は徐々に大きくなり、形が分かるようになってくる。
 この時だけは見通しが良かった、白い闇に覆われていない、いわば開けた空間。
 間違いない、ここが目的地だ。
 普段なら希望的観測だと切り捨てる考えも今は信じることが出来た。
 黒い点は既に何か分かる所まで来ていた。

 男だ。

 

 玉座のような椅子に座っている男だった。

 

 その男は何かするわけでもなく不敵に笑いながらこちらを見ている。
 私がその男の前まで辿り着いて止まる。
 赤い線はそこで途絶えていた。
 だが、よく見ると男の座っている玉座の両サイドにまた新たに線が始まっていた。

 

 右には青い線が。
 左には赤い線が。

 

 私に十分にその線を確認する時間を与えた男はいよいよ口を開いた。

 


「ようこそ青き古代の女神。現在は君を歓迎するぜ。俺と少しばかりお話したら君の未来を選びな」

 


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 僕は知っていた。

 

 ゼータがロボットではない事を。

 

 彼女は博士が連れてきた、古代の生物だと。

 

 「イプシロン」

 

 分かってる。

 

 ゼータはこちらを見て問い詰めるような表情をしている。

 

 もう既にEEQC-DHI06-ζはここに居なかった。

 

 僕は自身を人間らしく作った人間を強く恨んだ。こんな思いをするなら感情など要らなかったと。

 

 「ゼータ。僕の知っている全てを君に教えるよ」

 

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 目を覚ましたようだった。
 薄暗く、冷えた空間。そこにどうやら私は居た。
 身体を起こす。

 

「やあ、ゼータちゃん。君は赤の未来を選んだんだね」

 声に気が付き、そちらに目をやると一人の女が壁掛けの時計の下に居た。
 壁に背をやり、マグカップで何かを飲みながら、もう片方の手で何か本を読んでいた。
 そして微かに笑い、私に近づいてきた。

 

「随分と長く夢を見ているね。でも大丈夫。ここが終点だよ」

 

 彼女は自分の前に座る。目を擦り、改めて周囲を見回す。
 互いに腰を掛けているのは少しかための茶褐色のソファ。
 正面にはオシャレなバーカウンター、天井には小さなシャンデリア。コンクリート剝き出しの一室には不釣り合いなインテリアにはどうにも見覚えがあった。
 何処で見たのだろうか、そんなことを考えてるうちに女が私に話しかけてくる。

 

「ぼーっとしちゃって。大丈夫? 頭はスッキリしてる? 例えば……自分の名前とか」

 

「私の名前は……」

 

 そこまで言いかけて詰まった。
 相手は確かに私をゼータと呼んだ。
 私も私がゼータであると言われればその通りだと感じる。
 だがおかしい。
 自分の名前と言われて頭に浮かぶ名前が、あまりにも多すぎた。

 

「私は……誰……?」

 

 フラッシュバックのような感覚に酷く混乱してしまった。
 そもそも何か忘れている気がする。
 ここに来る前に二つの線の前で何かを誰かと話していた。
 そこで私は大きく変わってしまった。何も分からないのに、それだけは強く感じている。
 ただこの記憶の無い「そうだったのではないか」という感覚をどこまで信じれば良いのか分からなかった。
 私が頭を抱えてしまうと女は傍に来て優しく私の頭を撫でた。

 

「君はゼータちゃんだよ。その左目は決意の証。何人も君を曲げる事はもうない」

 

 私の左目……?

 

 手鏡を渡される。
 そこには元の青い右目と、血潮が燃えるような真っ赤な左目があった。

 

「もう大丈夫。君は分かっているはずだから。今は分からなくても目が覚めたら全てを思い出す。それは辛い事もあるかもしれないけど決意を胸に自分を信じて」

 

 女は私を抱きしめる。
 誰かも分からない相手だったが、とても落ち着いた。
 深い安心感を得た途端、私は涙を流していた。
 何故かは分からない。
 いや、分からない気がしていただけだ。
 本当はとても不安で怖かったのだ。

 


 私は感情の無いロボットなどではなかった。


 女はその間も何も言わず優しく抱いてくれた。
 暫くして私が落ち着くと「落ち着いた?」と言って女は離れた。

 

「私、いかなきゃいけないです」

 

「うん、知ってる」

 

 「あの、お名前は」と遠慮がちに聞いた。
 この人は私を知っているようだったが、私はこの人の名前すら知らない。
 相手もようやくその事に気付いたのか笑って「キプリス」と教えてくれた。

 

「キプリスさん、ありがとうございました」

 

「こちらこそ、いつもありがとうね」

 

 いつも、とはどういう事だろうか。
 確かにここは夢。
 深く考えても仕方ない事もあるかもしれない。
 だが。

 

「愚弟の面倒見てくれて感謝してるよ。ゼータ……いや、レインちゃん」

 

 夢というのはただの幻想ではない。
 目が覚めた時、私の燃えるような赤い左目がそれを証明していた。

 


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 博士はとうの昔に死んでいた。

 正確には私が殺した。
 それが彼の望みだったから。
 私が最近まで見ていた博士は何だったのか。
 幻覚と一言で片付けて良いのか。
 後悔が見せた罪の意識の具現化なのか。今となっては分からない。

 

 ただ一つ分かるのは私は人類を蝕む青の存在。
 世間ではAPE細胞、などと呼ばれていただろうか。
 それの母体、マザーとはよく言ったものだ。
 あれらは容易に死んだりはしない。
 私がその証拠だ。

 

 博士は青の存在に侵された人間だった。
 出会った時はもう既に100%私の一部となっていた。

 だから彼は私に言った。殺してくれと。

 

「ゼータ。ここが最後の部屋だ。僕しか開けられない託された部屋。制御暗室」

 

 私を案内していたロボットが扉を開けてこちらを見ている。

 

「ありがとう、イプシロン。博士に代わって貴方が役目を終えた事をここに宣言します」

 

 それを聞いたロボットは酷く悲しそうな顔をした。

 

 だが涙は出ないようだった。

 

「信じて貰えないかもしれないけど、僕は本当に君と仲良くなりたかったんだ。ゼータ。でもこれもイプシロンというロボットの設計通りなのか、それを超えて生まれたモノなのか。僕には判断できない」

 

「イプシロン。貴方は貴方。設計されたとか関係ない。貴方が持った意思は貴方のもの。自分を信じて生きて」

 

 私が扉の奥へ入り、閉まる寸前に見たイプシロンは後ろを向いていて、手を上げていた。
 その背中の向こうには、ぽたりぽたりと水滴が落ちていた。

 

 ガコン、と大きな音を立てて扉が閉まる。
 イプシロンの任を解いた事で、もうこの扉が開く事はない。
 長い階段を降りると開けた部屋に出た。

 

 部屋には無数の私が居た。

 

 正しくは私と同じ形をしたロボット。本当のEEQC-DHI06-ζ達。
 超性能の量子コンピュータである彼女たち、そしてそれらを取りまとめる為に適応した存在である私。
 それら全てがマザーの正体だった。

 

 EEQC-DHI06-ζの内の一体がこちらにやってくる。

 

「ラケス博士からゼータへ託されたファイルがこちらです」

 

 彼女が目の前で手を横にスライドさせるとホログラフィックのスクリーンが浮かぶ。
 そこには過去にAPE細胞を用いた手術を受けた人物を始めとした様々な青の存在に関するリスト映っていた。
 博士は言っていた。
 私と私の師の過ちを正して欲しいと。
 人間は迎えるべくして死を迎えるべき時があると。
 それを聞いた時、私は幾千年もの間あの遺跡で封じられるまで、共に生きた生物たちに言われたことを思い出し た。

 今度こそ止めなくてはならない。

 

 私は自ら滅ぶことを、青の母体としての自身ではなく、強い決意をもってゼータとして誓う。
 人類は私を呪うだろう。
 それでも構わない。これが私達のエゴだとしても、私は人類の為に青の存在によって生まれた新人類を滅ぼす。

 


全て滅ぼし、この身が朽ちるその時まで。

 


【XXXX-XX-XX セントラルフラクタル 制御暗室にて】

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