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収攬のヴァニアタス

Composer : K2 underground

死の匂いは人心を捕らえる。
なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい。

 ペルナ病が猛威を振るった15世紀ごろ、死をテーマにした絵画が多く描かれました。
 現代の感覚なら、なんて不吉な、という気持ちにさせられるでしょう。しかしながら、当時の人々にとって、死は最も平等で、最も身近なものだったのです。

 みなさんはペルナ病という病を聞いたことがありますか? 中世に帝国人口を半減させた恐るべき感染症ですね。この病を専門に治療したシュテファン・フォン・ベッカーという医師が残した手稿が現在でも残っています。

 その一部を見てみましょう。

 まず、大体の患者の心当たりは、概算して一週間前の行動だ。大体、不用意に街の中心部へ出て悪い空気を吸い込んだとか、そういうところだ。中には血縁者の看病をしていて、という可哀想な例もあるのだが。それにしても、不用意に家から出るなというお達しがあれほど出ているのに、それを守らない人間が確かにいるのだから驚きだ。当然お前も同じことをするなよ。そして「そんな瘴気まみれの患者から自分の身を守るために予防線を張っておく」ということは、我々が真っ先に考えておかなければならないことだ。気を抜くな。確かに大いなる慈悲を以て癒やせというのは事実だが、それとこれとは話が別だ。
 小耳に挟んだことがあるかもしれないが、俺の故郷には「命の水[アクア・ヴィテ]」という魔法のような酒がある。作り方は別の紙に書いて挟んでおこう。こいつを少し綺麗な水で薄めて(できなければそのままで)、テーブルを拭く。食器を拭く。厚着で身体が蒸れたらこいつを軽く吹きかける。まあこんな具合で、瘴気を洗い流してくれ。大丈夫だ、その効果は俺が保障しよう。ああ、酒なのは酒だが、よほどの物好きでないならそのまま飲むなよ。喉が焼けるぞ。どうしてもって言うなら、果汁で薄めると最高だ。
 話を戻そう。ペルナの初期症状は倦怠感と悪寒。風邪と違って、悪化までが一瞬だ。一晩か二晩程度で一気に高熱が出て、やがて全身に丘疹が出始める。この先はご存じの通りだ。丘疹から出血したのを目処に、そのまま体内でも出血。こうなってしまうと、あとはショックを起こして、一瞬でそいつは屍だ。だから、遅くても丘疹が出始める段階で薬の投与と遺言書の作成を始めないと、回復するにしても死んでいくにしても間に合わない。

 ここでいう「命の水[アクア・ヴィテ]」というのはいわゆる消毒液の役割を果たしていたわけですが、酒に含まれるエタノールが感染症予防に有効であるということがまだはっきりとは分かっていなかったわけですね。それくらいの時代の話ですから、一週間経てばいきなり死ぬ病として、民衆に大変恐れられていました。


 当然「死」を身近に意識することとなりますから、そういった「死」に関する文芸運動があちこちの分野で興隆しました。工芸分野では時計に死神を彫り込んだり、文学分野では死をテーマにした作品が沢山書かれたり……。不吉だというよりは、身近かつ我々の心に鮮烈に残る、存在感の大きな概念だったわけです。


 美術分野でも、死を彷彿とさせる、もしくは儚い命を思わせる静物画が多く描かれました。頭蓋骨や泡のような直球的なものはもちろん、花や果物のような「いつか終わる命」を彷彿とさせるような美しいものなんかも好まれますね。隠喩的なものだと、コインや宝石、そしてレモンなんかもあるんです。前者は現世に拘る事への無意味さ、後者は色鮮やかな果実でありながら酸味や苦みを兼ね備えた点が、人生によく例えられたわけです。


 ヴァニタス――空虚画は当時非常に多くの人々の心をとらえました。それだけ死は人々に近い存在であり、またそれに例外は無かったのです。貧しきも富めるも、卑しきも貴きも、多くの命が奪われたのですから。


 やがてペルナ病の脅威が収まると、それと同時にヴァニタスの流行も廃れていきました。ヴァニタス自身も例外なく死を迎えたのです。しかし、数々の名画は教えてくれています。

 ――死を忘れるな、と。

マール・イドリス. “静物画”. はじめての美術史講義. 帝国旧絵画館, 2018-1-5.

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