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穽掩のユグドラシル

Composer : AddFon

―XXXX/XX/XX、『広く開かれた原野』にて

見上ぐれば聳える巨木。空を掩う、という表現も強ち間違いでないと言える。ここではそれを神話に準えて、「ユグドラシル」と呼称する。些か大袈裟が過ぎる名前だとは思うが、この辺りに住む人達からは、違和感なく受け入れられているのだという。
この地に伝わる詩によれば、

"空の陥穽を塞ぐは聖樹。
其は導きの手。
其は破滅を禦ぐ盾。

其は真に「聖樹」たるか?という謎を、ユグドラシルの咢(あぎと)は尽く覆い尽くす。"

ということらしい。
はて、どういうことか。それを道行く老爺に問おうとして、今の私は唯の観測者である、ということを思い出した。

―――

 ここに暮らす人々に話しかけようとする、というのは、予め録画されている映像に対してああだこうだと文句をつけるようなもので、つまるところこの「映像」の登場人物に対してこちらから、鑑賞はできても干渉はできないのである。しかし聞くことができないとしても、他にも方法はある。本の中身は読めなくとも、本の内容は頭に入るのだ。それもただ塵芥を払うように本の背表紙をなぞるだけでよい。内容の厚みによっては「読込」に時間がかかるが、それでも私が本を読んでいる時以上の速度であることは間違いない。
 そしてこの『広く開かれた原野』には、辺境の地には珍しく書架の充実した図書館がある。道を行く人々の中に、その書架の内容を頼りに来た、というような学者然とした風貌の者がいることを鑑みれば、この図書館が、ここら一帯にどれほどの影響を齎しているかは想像に難くないであろう。
 その「前情報」を得ていた私は、図書館へ在りし日の伝承を尋ねようと、方々からの歓声が届く緩やかな坂を上った。知識を得んとして来訪する人々が多ければ、必然的にその周りで商売が興る。いわば図書館へと至る道はこの『広く開かれた原野』のメーンストリートなのである。ただ、ここを通るとなれば、如何に美味しそうな物が仮に売りに出されていたとしても、食べることはおろか触れることも能わず、ただただ垂涎するのみであることは覚悟すべきであろう。これを回避したいがために別の道に入り、獣道で体力を消耗したり、前後不覚に陥ったりすることは、却って効率的ではないし、そもそもそんな所の「情報」まできちんと入っているのかは甚だ疑問だ。
 三十分程道なりに進むと、漸く図書館への入口が見えてきた。『都合よく』入口の門は開かれたままであったので、こそ泥の如くそそくさと中に入る。中に入る道すがら聞こえる会話は凡そ私には見当もつかないことだが、ただ伝承の意味を調べにきただけの凡夫には関係のないことだ。そこそこに着座のあるテーブルの傍を抜け、目的の書架へと私は徐に歩みだした。「映像」であること、それにただ自分が伝承について調査したいだけであることを踏まえれば別段気を揉むこともないのだが、何故か悪いことをしているようにも感じ、どこか居心地の悪い高揚感を感じていた。
果たして私が辿り着いたのは、ユグドラシルのような―ここ『広く開かれた原野』では極端な高さをこう形容するらしい―、 そして他の書架の中でもひときわ蔵書と蔵書の隙間が目立つような本棚であった。『運良く』誰にも借りられていなかった「この地に関する」分厚い本が本棚の中腹からじっと私をねめつけていたのを感じた私は、幾許かの奇妙な納得感を以て、「あとはこれの背を撫でれば、詩の伝承についての情報が得られる」と確信した。

―――

私は後悔していた。このような情報が「当然のように公開されていてなお」神聖視している人々がいる、ということを考慮に入れていなかった。勿論本一冊という断片的な伝承を以てすべてを量るべくもないのだが、途端にこの『広く開かれた原野』が恐ろしくてたまらない。観測者である私にはどうする「権限」もない。ああ、どうすれば良いのだろう。



ユグドラシルは、私をじろりと見降ろした。

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