Polophylax
Composer : Syreler
親愛なる姉さんへ
昨年までの暖冬とは打って変わって、寒い日が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。
おかげでぼくは今年も風邪をひくこともなく、とても元気に過ごしております。
最近は星がとてもきれいに見えるので、毎晩眺めるのが僕の中での流行りです。
姉さんには「離れていても同じ空が見えるから」と言ってここへ来ましたが、実のところ、案外そうでもありませんでした。南の空は家で見るものとはかなり違っていて、そちらでは見えない星座なんかもあります。
この前は「ポロフィラックス」という星座を教えてもらいました。「最果てを守る者」という意味があるそうです。まるで今の僕みたいだな、と思いました。とても綺麗な星々です。
あとは流星群もよく見えたので、写真を入れておきます。是非見た感想がほしいです。
そろそろ暖かい春の日差しが恋しくなってきましたね。
身体にはどうか気をつけて。
「また手紙が来たのかい、弟さんが元気そうでよかったねえ」
郵便受けの前に突っ立って手紙を読む私に、隣のおばさんがにこやかに話しかけてきた。
――両親が早くに亡くなり、物心ついたときから弟につきっきりだった私は、24となった今も嫁に行かず気ままに暮らしている。
3つ離れた弟はおととし徴兵。国から防人に選ばれて、南の国境へ旅立っていった。なんでも検査で身体能力がずばぬけていると言われたのだとか。
過酷な任務だそうだけれども、お給与は悪くないようで、私に毎月、手紙と共に、生活費を包んで送ってくれている。
弟は基本的に手紙の中で良いことしか話してくれない。面白い同僚のことや、南の国境で見つけた綺麗な花のこと、それにひとりで暮らす私を気遣う言葉。心配させないようにという気遣いなのかもしれないが、姉の私としてはなかなか心配である。
だって子供のときはあんなに怖がりの泣き虫で、おばけが出るとか言い出して森の中に入りたがらないし、夜トイレに行けなくておねしょするし、近所の子と喧嘩してたんこぶを沢山作って帰ってくるし……。いまの肩書きは立派な防人でも、根っこはきっと怖かったり不安だったりすることが沢山あるはずだ。
「弟さん、今月はなんて?」
「ええと。この前の流星群の写真が入ってるって」
「まあ素敵じゃない? このあたりは曇っていて見られなかったものね」
「ええ、そうなの。感想くれって言ってるからさっそく返事書かなきゃね」
厳しい厳しい冬を乗り越えたある春、弟から届いた手紙には、いままでの倍くらいのお金が包まれていた。しかも、現金で。
ぎょっとして中身を見ると
いつの間にか春らしくなりましたね。家のスズランは綺麗に咲いていますか?
あの白い花々がとても懐かしく感じられます。
お手入れにはどうか気をつけて。手袋しっかりつけてくださいね。
ぼくはこの間から、より責任のある仕事を任されるようになって、給与もかなり上がりました。
まだまだ慣れずに戸惑うこともありますが、一生懸命頑張っています。
姉さんにはひとりで辛い思いをさせてごめんなさい。
出世の祝金を貰ったので、これでどうにかなるか分からないけれど、生活の足しにしてください。
朝晩はまだ肌寒い日が続きますので、どうか気をつけて。
とのこと。私自身、お裁縫で小遣い程度の身銭は稼いでいるけれど、確かに仕送りが増えるとありがたい。……しかしながら私は弟の取り分が少ないのではないかと心配になって、
あなたのために使わなくてもいいのかしら 。
と添えて送った。
次の月、返事には
自分の分は貯金してあります。ここでの生活はほとんどお金を使わないので。
と書かれていた。
そんな弟はこの夏に家へ帰ってくる。
除隊の一ヶ月前に届いた手紙には、今までの思い出話がうんと書かれていて、最後には
とうとう来月帰ります。これが僕からの最後の手紙です。
姉さんには本当に色んな事を心配してもらいました。
ちゃんとご飯食べているかとか、上官とはうまくやれているかとか、色々と気にかけてくれてありがとう。
姉さんは自慢の家族です。
……と、仰々しく書かれていた。
帰還の日、私は張り切って弟の好きなものを沢山作った。いちごジャムに、仔豚のステーキ。紫にんじんのラペも。
扉を叩く音が聞こえ、私は満面の笑みで扉を開ける。
――するとそこに立っていたのは、大きくて綺麗な箱を携えている、見知らぬ軍人だった。その軍人は、手紙で聞いていた弟の上官の名前を名乗り、
「いきなりですみません。あなたに大切な話がございます」
と、口にした。
時が止まるような気がした。
「……死んでしまったんですね」
それが遺品の入った箱であると、私は確信したのである。
「……お気づきでしたか」
そう――私は薄々だが気がついていた。昇給の知らせが届いたとき、いつもと筆跡が違っていたこと。仕送りするときは小切手で送ってくるから現金は包んでこないこと。そして家のスズランは白ではなく桃色であること。だからきっと弟の身に何か起こって、弟と親しかった誰かが、代わりに手紙を書いてくれていたのだろう。なんて。
思っていても、優しい夢を見続けることにしていたのである。そう、これは夢から目覚めなければならない瞬間だ。
ところが、今は悲しみよりも大きな疑問の方が私の感情を支配していた。
「あの……手紙を書いてくれていたのは、あなたですか?」
「ええ、確かに」
「どうして手紙を書こうと思ったのですか?」
「弟さんは、去年の春に新人の部下を庇って殉職しました。そのときに私が彼を看取ったのですが……。『自分には姉が居て、毎月手紙を書いている。どうかぼくの代わりに手紙を書き続けてほしい』と最期に口にしたのです」
「じゃあ、仕送りで包まれていたお金は弔慰金か何かで……?」
「いえ、それは私の懐から。弔慰金はこの箱の中へ、遺品と共に」
「……なんてこと……」
彼もこの人も、なんて優しい人なのだろうと、私は言葉を失った。
「手紙の内容もあなたが考えていたのですか?」
「ええ。勝手なことは書けないと思い、過去にあなたが弟さんへ送った手紙はすべて読み返しました。しかし――弟さんにはなりきれないとも思っておりました。騙すようなことをして……申し訳なかった」
「いえ――弟はあなたに謝罪させるために手紙を書いてほしいとお願いしたわけではないと思いますから……どうか謝らないでください。彼の願いを聞き入れてくれて――ありがとうございます」
そう。気付いていて手紙に返事を出したのも私。弟の帰還を楽しみに待っていたのも私。仕送りをありがたく受け取ったのも私だし、今日弟の大好物を沢山作ったのも私。分かっていて、そうしたのだ。
また近いうちに来ます、と弟の上官は口にして、帰っていった。私はそっと箱を開ける。その中には、弟の私物がいくつかと、1通の手紙が入っていた。
それはたいそう懐かしい筆跡で書かれていた。もう来ないと思っていた弟からの手紙。本当に最後の、手紙。
姉さんへ
ここでの任務は危険と隣り合わせです。
いつなにがあるか分からない、そう思ってこの手紙を書くことにしました。
姉さんがこれを読んでくれているのなら、書いていてよかったと本当に思います。
しかしながら、姉さんがこの手紙を見ているということは、僕はもうこの世にはいないはずです。
無事に任務を終えて姉さんに再会することが、かなわなかったということです。
弱い弟で本当にごめんなさい。
それでも、弱かったとしても、ぼくが国に力を認められて南へ旅立てるまでになったのは、
他でもない姉さんのおかげだと思っています。
本当にありがとう。
僕は姉さんと一緒にいられたことがとても幸せなことだったことを痛感しています。
ここへ来たらなんでも自分でしなければなりません。
ご飯は全く上手に作れないし、辛いことがあっても自分で折り合いを付けるのが基本です。
姉さんからもらう手紙が支えになっているだけでなく、
毎日作ってくれるご飯やシーツの良い匂いのありがたみをかみしめているところです。
姉さんは僕を弟に持って幸せだったでしょうか。
幼い頃の僕は本当に意気地無しで怒られてばっかりだった気がするので、自信がいまひとつありませんが、
こうやって辺境の地から手紙をやり取りする中で、少しは周りに誇れる弟になったのかな、と、
ちょっとずつ思えるようになりました。
姉さん、僕を育ててくれてありがとう。
この手紙を読んでくれてありがとう。
どうか大好きな姉さんが穏やかに暮らせますように。
*
その年の冬、私は1通の手紙を書いて庭で燃やした。
北風に乗って、南の空へいる弟に届くように、願いを込めて。
親愛なる弟へ
そちらの空はきれいですか。
さて、あなたがいなくなってから初めての手紙になるかもしれません。
気持ちにも整理がついたので、私が思っていたことを、正直に伝えようと思います。
あなたからもらう手紙はどれも温かい言葉に満たされていて、
いつでも私のことを元気にしてくれていました。
そしてあなたが今際の時にこれからを預けた上官さんの言葉も、
私をおだやかな気持ちにしてくれたのです。
いい上司を持ちましたね。
あなたは「自分が弟で幸せだったか」と問うていました。
とんでもない質問です。当然、私もあなたが家族で本当に良かったと思っています。
私たちは3才差ですから、あなたが小さかったころは私も小さかったのです。
こわいことを言われたなと思っているのなら、どうか許してください。
などと綴り、最後にこう締めくくった。
さて、春になったら、上官さんとともにあなたのねむる場所へ行こうと思っています。
楽しみにしていてくださいね。
エリアス・エヴァンス. エリアス超短編集. 1905.