クロエの虚像図書館
Composer : toonmarx
特別連載「もう一度知りたい文豪の話」第2回
虚像の図書館を作り上げた賢人 クロエ・エヴァンス - 幻想世界の旅路
「私には分かるのよ。きっと、きっとね、あなたには大切なおねがいがあるのでしょう。素直でかしこきヒトの子よ、あなたが会いにきてくれたお礼に、なにかひとつ、おねがいを教えてくれるかしら?」
1995年度 帝国児童文学賞、その続編創作部門課題文『ふたごと氷のゆめ見鳥』の一節である。
生みの親は、今なお創作童話作家の大家と評される女性、クロエ・エヴァンス(1855~1897)である。今でこそ女流作家としてつとに知られる彼女だが、彼女はあくまで孤児院の教務官としての生を全うした人物であり、実は生涯にわたって書物を著したことが一度も無い。今回はそんなクロエがなぜ作家として評されるようになったのか、その謎に迫る。
クロエには一風変わった通り名があった。「サヴァン・クロエ(賢者クロエ)」だ。これは、彼女の持つ天性の言語運用能力と、そして一度読んだ本の内容を完璧に暗記できる極めて特異な才能に由来する。
物心つく前に戦争孤児となり、国立孤児院「エヴァンス・ホーム」で育った無口な少女が、その奇才の片鱗を示したのは、就学年齢を迎えたころだった。毎日出される読書の課題を、クロエは次の日にすべて暗唱することができたのである。最初は短い文章だったため、孤児院の教務官はただの活字好きだと勘違いしていた。しかしながら、教材の難易度が上がって、大人でも到底覚えられないような長さの文章になってからも、彼女は次の日に必ず全文、しかも一字一句間違えず暗唱した。算術は苦手、運動はからっきし。言葉が絡むときだけ、クロエの能力はまさに天才のそれを示した。
彼女の並みでない振る舞いに気がついた孤児院の職員達は、その才能を可能な限り伸ばすことを目指し、クロエ専用のカリキュラムを考案した。週の半分以上は国立図書館に出向き、彼女の興味の赴くままに好きなだけ本を読ませた。同じ本を読むことがないように、職員がわざわざ貸出処理をして履歴をつけていく。1ページ読むのにわずか10秒。気分と書物次第だが、1日あれば分厚い本を5冊程度は暗記した。内容について分からないことがあれば、司書の力を借りて別の書物を読みながら理解を深めていった。ときには知識不足を痛感し、数日かけて百科事典を丸々暗記した日もあったという――そういうわけで、娘盛りを迎えるころには、彼女の頭の中へ数千冊の図書が刻み込まれるほどになっていた。
ところがこの才と引き換えに、クロエは認知能力の構築や社会性に困難を抱えていた。体が弱く、一人で買い出しができない、料理もできない。またお世辞にも円満な人格者とも言いづらく、そのため、彼女は自立年齢を迎えてもホームの職員として留まり続ける道を選んだ。クロエの思考力自体はそれなりに高く、自分が社会の一員として生きていくことなど適わないと悟るのは容易だったのである。
そんな彼女がホームで託された仕事は、他の子供のおしゃべり相手。しかしながらクロエにとって雑談は苦手筆頭であり、ではどうしたかというと、教務官として皆の「なぜ」にひたすら答える係を任された。ひどく限定的な仕事だが、幼子の好奇心を舐めてかかってはいけない。彼女の日記には、今までに寄せられた質問がたびたび登場する。
「世界に国っていくつあるの?」
「ユースデイアの忍びが使っている術でいちばん強いものは?」
「雲ってどこから来ているの?」
「いままでの皇帝の名前を全員言える?」
我々なら有耶無耶になるところを、クロエは何でも正確に、そして完璧に答えてしまう。歴代全皇帝の名前をそらんじることなど、造作も無いことである。そんな彼女を、子供たちは物知り博士だ、賢者だ、と大いに慕った。そしてときには「心ってどこにあるの?」なんて哲学的な質問を一緒に考えることもあったらしい。ちなみにサヴァン・クロエの答えはこうだ。
もしも心がどこかの臓器に宿るというのならば、きっと人間はその臓器だけで喜怒哀楽を感じることができるけれど、そんな臓器は無いよね。よく「心は脳にある」と言う人がいるよね。でも脳だけ取り出したら、たとえば恐怖で脈が速くなる感覚は失われてしまうし、喜びに全身が涌き立つ思いはできない……。だから、私は「心はどこそこにあるんだよ」とは言えない。人間の身体すべてに備わる、ふしぎだなあと思う働きに、「心」って名前をつけたのではないかな。
――さて、そんな彼女の人生を少しだけ、しかしながら大いに変える出来事があった。ある日子供の一人の質問だ。
「読解の授業で読んだおはなしの続きが気になるんだけど、クロエ先生は、続き知ってる?」
たまたまその小説を読んだことがあったクロエは、子供たちに続きを語り聞かせた。当然ながら子供たちはいたく感動し、そこから彼女の仕事には「教材で読んだ本の読み聞かせ」が追加されることになったのである。ところが、世界には一生をかけても読み切れないほどの本があり、毎日のように読み聞かせをしていれば、ときにはクロエの知らない本を要求されることもある。では、そのとき子どもたちはどうしたのだろうか。まず、彼らは「クロエ先生でも知らない話がある」と、いたく喜ぶ。先生と知恵比べをして勝ったような気分を味わうのである(教材側のチョイスであって、別に子どもたち自身の知恵ではないのだが)。そうして次に出てくる言葉は、
「じゃあ何でもいいから読み聞かせして」
だ。これには頭を悩ませた、とクロエは日記で回想している。彼女の頭の中には数千冊のストックがあるのだ。なるほど、その中から何でもいいからと言われてもほとほと困ったことだろう。
これに対してサヴァン・クロエはユニークな提案をした。「それじゃあね、どの本にも載ってないし、授業にも絶対出てこない、秘密のお話はどうかな」……つまるところ、自分で物語を作って喋る、というものだった。秘密と言われれば子供たちは興味を持つし、自分の創作物であれば「それ読んだことある」などと騒がれることもない。 まさに妙案とでも呼ぶべきものだった。「童話作家クロエ・エヴァンス」が誕生した瞬間である。
こうして最初は応急処置的に始まったクロエの創作活動だったが、子供たちはいつしかその童話の読み聞かせを聞くことを日課とみなすようになっていった。もちろん今まで通り授業で読んだ本の続きを聞きたがる子供もいたが、その本の読み聞かせが終わると、他の子供が「今日のお話はまだ?」とせがんできた。
「大きくなって、生まれて初めて図書館に行ったとき、まるでここはサヴァン・クロエのようだと思った。ここにあるものほぼ全て、いや、ここに無いものですら彼女の頭の中に存在していたと思うと、心が震えた」……これは当時在籍していた孤児院の手記に記されている一文である。
この孤児院で起こった一大ムーブメントには様々な要因がある。まず、この創作童話の読み聞かせは、一般人が行うそれよりも水準がはるかに高かった。クロエの創作童話は、彼女が毎日その場で考えて語っていたと推測されている。プロットらしいプロットがほとんど残っていないのだ。日記の記述から、どうやら彼女は、子供たちのリアクションを見ながら次にどのような展開にするのかを判断していたようだ。つまり、そのまま文字に起こしても十分に読みうる文章を、子供たちが気にいるように、口頭で、しかも即興で組み立てていた。自分の創作だから、表現も自由自在なのである。そして、貧民は概して娯楽の幅がそれなりに狭い。貴族の子息か何かであれば話は変わるのだろうが、ここにいるのは国の補助で毎日のパンを得ている少年少女だ。お金を使わずに日々を楽しむことにかけては彼らに適う者などいない。彼女の織り上げる物語は、孤児達にとってまたとないお楽しみだったわけである。
ところが、彼女の物語を聞きたいと思うすべての孤児達が、毎日それを聞けるわけではなかった。ときに体調を崩して医療施設に入る子がいたり、勉強の進捗が芳しくなく補講を組まれる子がいたりする。なんといっても、孤児院の数少ない大流行だ。そんな子たちが徐々に「昨日どんな話をしたのか聞きたい」とせがむようになり、ついにそれを聞いたある職員が創作童話を録音して保管するようになっていった。
これが「書物を著したことが無い童話作家」の正体だ。これら音声データが後世に書物となり、多くの子ども達を魅了しているのは周知の事実だろう。クロエが語った童話は、音声媒体だけで156作品にも及ぶ。
そんなサヴァンがこの世を去ったのは、1897年、42歳の時だった。死因は心臓発作だったが、これは現在、彼女に与えられた数々の障害のひとつ――神経疾患の類によるものであるとみなされている。今でこそ名のある人物だが、生前は無名だった女性だ。彼女は沢山の子ども達に囲まれて、静かに旅立っていった。
クロエの墓碑は「エヴァンス・ホーム」の中に建立され、現在同敷地は「クロエ・エヴェンス図書博物館」として整備されている。
そんな彼女の遺作となるのが、未完の童話『ふたごと氷のゆめ見鳥』だった。「はかなくきらめく、かわいそうだけどうつくしいヒトの命。」――ともすれば、これは長くない命を想った彼女の心の声だったのかもしれない。
出典:特集, もう一度知りたい文豪の話: 虚像の図書館を作り上げた賢人 クロエ・エヴァンス, 幻想世界の旅路. 澪標. 1998, 15(3).