top of page
紺青の瞳.png

紺青の瞳

Composer : Der3

 最後の力を振り絞る。

 

 手紙を書き終え瓶に入れ、僕は砂浜まで歩いてきた。

 後は目の前の大海に瓶を投げ入れれば、全て終わりだ。

 

 正直、書いたことが全てではない。記憶は曖昧だし、意図的に脚色した部分も多い。

 でも、書くべきことは全て書いた。君への想い、黒い眼の民への怒り、全部だ。

 

 ここは君の遺体が見つかった場所。君の遺体が打ち上げられた砂浜。

 

 海を眺める。まだ薄暗い、朝ともいえない時間帯。世界は再び、君の色に染まる。視界一面に、紫がかった紺青が表れる。海はとても穏やかな波を見せていた。海鳥もまだ微睡の世界にうつつを抜かしている。

 

 ああ、よかった。君はこんなにも、穏やかに僕を見守ってくれていたんだ。

 

 さらば、僕らは消える。

 君はどこまでも青く、気高くあってくれ!

 

 大きく振りかぶって、僕は瓶を投げ飛ばした。

 瓶は縦に回転しながら、放物線を描いて海に落ちる。間抜けな音が遠くで響き、やがて瓶はどこかに消えていく。

 

 ああ、これで本当の本当に、終わりだ。

 

 後は運命の赴くまま。遠い国の誰かに届くか、それとも永遠にどこかの海を彷徨い続けるか、それとも今にも爆発が起こって、街もろとも砕け散るか。

 

 正直、そのどれでも構わない。セーナが忘れ去られることは問題じゃないんだ。セーナの想いが誰にも届いていないのが問題なんだ。これから起きる大爆発で、この街の歴史的な対立は世界に伝わるだろう。黒い眼の民を「排除」するという僕の行動が、これまで世界で「排除」されてきた人たちへの救いになったなら……。

 それこそがセーナの実現したかった世界、そのものじゃないのか。

 僕はゆっくりと息を吐き、その場に座り込む。

 

 もうずっと寝ていない。身体は限界だった。自然と瞼が降りてくる。

 これ以上生きる価値はない。意識のない状態で、この世から消え去ろう。

 

 そう思って、僕はゆっくりと眼を閉じようとした、そのとき。

 

 視界の端から、何かが海に投げ込まれた。

 ――なんで? いや、それ以前に、何が投げ込まれた?

 

 ぼんやりした頭で、目を凝らす。

 それは海上を漂って、漂って……カラフルな花、花束が、海を漂い、遠くなっていく。

 

 それを投げ込んだのは、誰?

 横を向く。……男が手を合わせている。見たことない人だ。若いようで、年を取っているようで、どちらともいえない男。眼を凝らしてよく見ると、その男は、青い眼をしていた。

 

「やあおはよう。朝早くから元気だね」

 

 呑気に手を挙げて挨拶する彼が、バカバカしく思える。

 それでも彼の目は青い。それだけで自然と良心は芽生えるものだ。

 

「……同胞のよしみで言うけど、すぐここから離れた方が良いよ。じきにこの街は吹き飛ぶ。AMMを撒いたんだ」

 

 それでも、男が慌てる様子はない。

 

「そうか、あれは君の仕業なのか……。不思議だと思ってたんだ」

「すぐ離れてよ。昼までには起爆する。この街丸ごと消え去る大災害になるよ」

「ま、良いさ。私もこの世に未練はないからね」

 

 妙に気取った話し方が、僕をイラつかせる。

 

「そんな風に格好つけてると、本当に死ぬよ」

「だからそれで良いのさ。私も、娘に会いに行ける」

 

 娘? この男には娘がいるのか? 少しだけ眩暈がした。花束の意味を理解する。

 

「それって……」

「セーナっていうんだ。ここから遠い所に行ってしまったセーナの、父親さ」

 

 背筋がビクついた。あのセーナの父親が、ネイヴァールからのこのこやってきたというのか。

 

「もしかして、君はサクヤくんかい?」

「どうして僕の名前を知っているんだ」

「娘から聞いていたよ。セーナからの手紙で、君のことは知っていた。君には本当のことを知ってほしかった。セーナが何のためにこの街で戦ったのか」

「そんなこと、もう察してる!」

 

 憐れで仕方ない。この男も、セーナも。セーナをずっとすぐ傍で支えてあげたのは、僕以外にいない。僕以外の誰が、セーナの気持ちに気付いてあげられただろう。一緒に暮らしてもいなかった父親が、今更何を言いに来たんだ。

 

「そもそもあんたは、どうして一緒についてきて、セーナを守ってやれなかったんだ。あんただって、加害者だ」

 

 僕の叫びに、男は頷く。

 

「そうだ。私はネイヴァールの研究から離れることができなかった。娘の苦しみに寄り添ってやれなかった罪深き人間だ。かつての私は楽観的だった。隣町の黒い眼の妻と愛し合い、浮かれていたんだろう。気付いた時には、娘は『排除』の標的だった。絶望したさ」

 

 気持ちのいい話ではない。同情は全くできなかった。

 

「セーナはどうしてリーサルトなんかに……どうしてこの黒い眼の民の街に……」

「……ああ、その話がしたかった。色々と事情があったんだ」

 

 さっきから言い訳ぶった言葉が耳障りだ。我慢の限界だ。

 思わず僕は立ち上がった。男の胸倉に飛びかかる。

 

「あんた本当に分かって言ってるのか? 黒い眼の民が暮らす街だぞ! セーナが『排除』されるなんて、目に見えてただろ!」

 

 こんな毒親に育てられたのがセーナの運の尽きだ。セーナ、君はなんて運のない少女なんだろう。

 

 同胞にこんな怒りを覚えたのは、初めてだ。

 この男を殴り殺したい。殺意がみなぎる。僕は拳を振りかぶった。

 男は今にも殴られるというのに、顔色は変わらなかった。

 

「……黒眼だろうが青眼だろうが、それは関係ないんだ。問題はそこじゃないのだから」

 

 こんな状況になっても、男は小声で淡々と述べるだけだ。その感情のなさが許せない。

 振り上げた拳に容赦のない力を込める。

 

 その時、男は言った。

 

「……セーナは君の代わりに、いや君だけじゃない。君を含む全弱者の身代わりになって、自ら『排除』の標的になった。まだ分からないのか?」

 

 今更何を言っているんだ、この男は。

 

「そうだよ! セーナは『排除』と戦ったんだ。セーナは……ネイヴァールでも黒眼の子を気にかけていた。絶対に黒眼のまま自分を曲げなかった少女を、ずっと気にかけていた!」

 

「それが勘違いだって言ってるんだ。その『排除』された少女こそが、セーナだった」

 

 ――え?

 力を入れたはずの拳が、顔を潰すはずの握力が、徐々に抜けていく。

 

「……どういうことだ」

「まず、私の話をさせてくれないか? セーナは手紙で、サクヤ君のことを教えてくれた。だからここで何があったのか、大体は把握しているんだ。セーナは自分を偽っていたんだ」

「セーナが自分を偽った? どこが! 生まれの境遇のせいでずっと『排除』され、それでも自分を強く持って戦ったんだんじゃないか! セーナの瞳はいつも青だったんだよ!」

 

 渾身の叫びを男にぶつける。だが男は、もの悲しげな表情を浮かべるだけだ。

 

「やっと気付いたよ。君は大変な思い違いをしていたんだな。聡明な君には難しくないと思っていたんだが」

「何が思い違いだ! 僕がセーナのどこを誤解したんだ」

「じゃあ、一つ考えてみてくれ。私の娘セーナは、どうして青い眼の民がほとんどを占めるネイヴァールで『排除』されなければならなかったんだ?」

 

 考える。本能が考えるのをやめると言っている。

 最初のピースが埋まっていなかった。いや埋めていなかったんだ。

 そこを考えると、全てのピースが崩れ落ちる気がして。

 

 ――だから分かった。全てを察した。

 そんなこと、今更言われたって……。

 

 理解した僕を見て、目の前の男は語った。

 

「ネイヴァールで排除され、叔父の家への引っ越しを勧めた時だ。セーナは悔しいって語ったんだ。眼の色だけで判断されるような世界が悔しいって。だからこそ、セーナは自分を偽ることにした。それに娘は、自身の同胞に希望を持っていたんだ。話せば分かる人たちだと信じていた。……結果は本当に残念だったよ。彼女は自身の民族にも裏切られて、居場所をなくしてしまった。……そんなセーナの想いを、どうして君は……」

「やめろっ!」

 

 僕は男を突き飛ばし、ただ逃げた。

 これ以上、話を聞いていたくなかった。

 僕はなけなしの力で笑っていた。気でも狂ったように、残った力を全て消費して、横隔膜を痙攣させ続けていた。

 

「嘘だ、嘘だ……嘘だ……嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだうそだ」

 

 呪文のように唱えながら、当てもなくただ足を動かし進む。どこに行くのか、自分でも分からない。まっすぐ歩くことも適わず、覚束ない足取りで、街の斜面を歩いていく。

 

 頭の中は杞憂でいっぱいだ。

 僕が信じていたのは、君の瞳だけだったのに。

 

 酩酊、千鳥足、逍遥。

 それでも、セーナの眼を思い出せば、僕はどれだけだって歩けた。

 それしか縋るものがない。だって君の紺青の瞳は、僕とセーナを結ぶ唯一の架け橋なのだから。

 

 僕が躓いたのは、そんな時だった。差し出した足がどこかの石段にぶつかったんだろう。途端に世界が回って、どこに手を出す先も分からなくて、派手に顔面を擦って、身体を打ちつける。どこかの骨が折れた。その間も身体は痙攣し、僕は乾いた笑い声を上げ続けていた。

 

 

 

 気付けば、セーナのペンダントもおっことしている。

 

 顔の血が滲む。今にも崩れそうな意識。

 

 荒れた呼吸、悲鳴を上げる身体の節々。

 

 ヘビみたいに地を這って探す。

 

 視界の端にそれを認める。

 

 中身が散らばっている。

 

 君との思い出、集めなきゃ。

 

 腕を出す、手を広げてかき集めて――。

 

 そして、真っ先に僕の手が掬ったのは――。

 

 

 

 セーナの瞳にとてもよく似た、吸い込まれるような紺青の膜。

 

 そんな濃い青を帯びたコンタクトが2枚、薄汚れた僕を映していた。

 

 

 

~帝国暦2015年 一日で消えた伝説の白壁街。海上を飛び回るカモメたちの視点から~

bottom of page