Is∞ing
Composer : Suzuka
決して栄えてるとは言えない町の外れ。
ぽつんと店が一軒あった。
洋風で穏やかな雰囲気の外観のその建物は周囲の殺風景さと対比してとても目立った。
カランカラン。
扉についた鐘が音を立てる。
その音を聞き、カウンターの下から私は身体を起こした。
「すみません、まだ営業時間外で……って、ベイン。裏口から入って下さいといつも言ってるじゃないですか」
来訪者の姿に、私はまたか、と肩を落とした。
「貴方が最近そうやって時間外に正面口から入っては椅子に座るものだから、近くに居たお客様が営業中と勘違いして入ってきてしまうんですよ」
「コーディー。俺はここのオーナーなんだから、多少は多めに見てくれよ。猫が住み着いててちょっと入りにくいんだよ……」
来訪者、ベインと呼ばれたその男はそう言うとカウンターの端の席に座る。
彼はこの店のオーナーだ。
彼と私は学生時代からの友人で、それぞれ別々の道を行き離れていた頃もときどき連絡を交わすような親しい間柄だった。
そんな彼と再会する事になったのは今から7年前の事だった。
先代のオーナー、彼の姉によって始まったこの店は隠れた名店として界隈では噂になる程の人気があった。
しかし、その姉が不幸なことに若くして病に倒れ亡くなってしまい、彼女との約束で弟のベインはこの店を継ぐことになっていた。
その際に彼は「自分は接客とかそう言うのは向かない」と、当時名の売れていなかったバーテンダーの私を店に置く事を考えたのだ。
私は私で、当時他の店で修行をしながら生活をしていた身だったので、店を任せたいと連絡があった時は分不相応だと断ったものだが。
彼に「全くの他人には任せられない」「お前が無理なら店は続けられないかもしれない」と、今思えば半ば脅しのような事を言われ泣きつかれた。
私自身そもそもバーテンダーを志したのも、彼の姉が居た頃のこのバーでの体験が大きく影響していたのは言うまでもなく、私としてもこの店が無くなるのは寂しかった。
結局私が折れる形でこの店を任される事となった。
初めはバーテンダーは未熟だし何もかもが変わってしまったと、一時は常連に見放されたこともあったが、表では私、裏ではベインというように私たちが二人三脚でなりふり構わず店を回し努力を重ねた結果、どうにか認められるところがあったようで、今日までこの店を残す事が出来ている。
ただ、今となっては私たちの関係はそれだけではない。
「ああ、ベインは猫が苦手でしたか。あれは最近レインちゃんが餌をやっているようで。多分完全に居ついてしまってますよ」
「あんのクソガキ……まあいい。それで、レインたちは今何してる?例の件に大きな変化があった……明後日には決行だ」
例の件、私はその言葉を聞いたときピクっとした。
それは事態が最悪の方向へ転がった事を意味していた。
「明後日ですか……世の中、なかなかうまくいきませんね」
「最低限技術部とも話し合う必要はあるが……マザーが反発する勢力に対してついに大きく動き出した。時間は余り残されていない」
マザー。それはユーフォリア帝国随一の技術を誇るダンバート重工業製の量子コンピュータだ。
マザーがそれまでのコンピュータとは大きく異なる点としては、とある博士の主導の元、超古代文明の暗号技術を応用しているという点だ。
これにより、マザーと呼ばれるそのコンピュータは従来よりも設計がシンプルであるとされながら、他の追随を許さない圧倒的な思考能力と演算能力を搭載している。
マザーはその裏では膨大な情報の処理を行いながら、自治体などの手続き用モニターの何千万という最大同時接続に対して、人間のように思考し、質問に応じることが出来るのだ。
そして、今や帝国に限らず全ての国々は、情報統制や天候や河川の流量などから始まり様々な事物についてなど、計算や管理の大部分をマザーに一任している。
「コーディー、すぐに人を集めろ。会議だ」
そう言うとベインは早々に席から立ちあがり店の奥へ消える。
私は臨時休業の立て看板を外に出し、扉を施錠した。
そしてアンティークな通信機の受話器を取り「皆さん、招集です。30分以内にコマンドルームへ」と通達した。
準備していたグラスや食器をしまい、店の奥へ行き裏口を覗く。
一人の少女がこちらに気が付くと、猫に頬ずりをしながら見上げる。
「レインちゃん。会議の時間ですよ」
「わかった。ばいばい、べいん」
レインはそう言って猫を下ろして離す。
どうやら野良猫にベインと名付けたらしい。ベインが聞いたらどんな顔をするだろうか。
パッパッと土埃を叩くとレインは私に手を伸ばす。
私たちは手を繋ぎ、そのまま裏口を出て店の裏側にある地下ワイナリーへと向かう。
入口にある認証機にパスコードを入力する。
今となってはこうした独立している認証機も、マザーが現れてからは不要になったため中々手に入らない。
実際多くの場合はマザーの管理下にある認証機を使った方が有用な事が多いだろう。
入ってすぐの階段を下り、洞窟の中に造られたワイナリーの中を進む。
このワイナリーは元々この地域の共用施設だったらしいが、利用者の減少に伴いベインの親が買い取ったものらしい。
個人で持つには広すぎるとは思うのだが、それでも所狭しとワイン樽などがある所を見ると彼の親は相当お酒が好きだったのだろうか。
姉がバーを経営し始めた理由も何となく想像がつく。
そんなワイナリーを進み、奥まで辿り着くと再び認証機があった。
私はそれにもパスコードを入力する。
ここがマザーに対して反発する勢力、我々レジスタンスのアジトだ。
「よぉコーディー。リーダーは中だぜ」
中に入るとすぐ、大柄な男が声を掛けてきた。
彼の名はグラブ。
このレジスタンスの技術者の一人だ。ここに来るまでにあった独立した二つの認証機も彼が制作したもので、ほがらかな性格で話しやすくメンバーからの信頼も厚い。
ベインと彼は古くからの友人でレジスタンスの立ち上げからいるメンバーの一人でもある。
どうやら私たちが来るのを入り口で待っていてくれたようだった。
「おっ、レイン嬢ちゃんコーディーに手ぇ繋いでもらってきたのか」
「もうまいごはやだ」
レインは不貞腐れた顔をして私に隠れるようにくっつく。
以前ワイナリーで迷子になった事があったが、それを未だに引きずっているらしい。
「他の皆は?」
「さっき覗いた時はおおかた集まっていたな。話はとりあえずコマンドルームに行ってからにしようぜ」
私とレインはグラブに促されるままコマンドルームへ向かった。
決して狭くないこのアジトはワイナリーの使わなくなった一部を改築して作られている。
強固な作りとは言い難いが、そう簡単に侵入が出来るほど甘い作りでも無い上、そもそもワイナリー自体のセキュリティはしっかりしているので問題はない。
先程連絡したのはこのアジトで、あの通信機はおおよそのメンバーが暮らしているこの施設内のスピーカーに繋がっている。
コマンドルームに着くと、既に他のメンバーは揃っていた。どうやら私たちが最後だったようだ。
私が椅子に座ると、レインは膝に乗ってくる。
他のメンバーも私たちが来たことで各々適当な位置につき始め、落ち着いた頃にリーダーであるベインが重く口を開いた。
「マザーが反対派の勢力に対してシャットダウンシステムを行使した事が確認された」
ざわっと一瞬でどよめく。
マザーの管理システムが導入されて数年後、我々人類は個人情報を管理するために埋め込み式チップを装着する事が義務付けられた。
これにより決済の履歴や睡眠時間の記録など、ありとあらゆる個人の情報は全て「セントラルフラクタル」と呼ばれる施設のデータベースに保存される事になった。
初めは便利な世の中になったと、誰もが喜んだ。
だがこのチップはこれだけでは終わらなかったのだ。
マザーはチップの普及率が90%を超えた辺りで、犯罪者確保などに役立てるという名目の元、ショックシステムを導入。
これにより、警察からマザー側への要請があった個人に対して行動を制限する電気ショックを与えることが出来るようになった。
この時、この機能に対しては非常に大きな批判があった。
人間に危害を加える機能を機械に任せるのはどうなのか、など様々な意見があったが一番問題視されたのはそもそもショックシステムを導入する前からチップにはそれが出来るだけの機能が含まれていたという事だった。
マザーは人類に対してこの事を知らせずにチップを埋め込ませ、後から公表した事になる。
しかし、批判こそあれど、ショックによる事故死などもなく効果的に機能していたため、多くの人々は次第に警戒心を薄れさせていった。
だがその数年後、最悪の展開が人類を襲った。
それがシャットダウンシステム。
マザーが遠隔操作で人間を殺害する事が出来る機能を、テロなどの極めて危険性の高い犯罪に対して使用すると公表した。
この事に世界中が大きく騒いだが、この時既に社会のシステムの殆どはマザーの手のひらの上にあり、人類は強く批判する事が出来なかった。
マザーという社会に反乱を起こすという事はシャットダウンされる可能性があるという事だからだ。
暮らしを豊かにするはずのチップは今では精神的な首輪になってしまっていた。
町中にはマザーの目とも言える警備アンドロイドが所々に見られ、気付けば人類は常に監視されていた。
多くの人が「マザーに対して従順に生きていれば何も問題ない」そう頭で考えていてもこれまでの経緯から不安を感じながら生きている。そんな世界になっていた。
そんな中でそれでも抗う人間、それが私たちのようなレジスタンスの人間だった。
先程のベインの話はつまり、志を共にする人間が殺されたことを意味していた。
「近日マザーが反対派の制圧に力を入れているのは前々から話していたが、ついに最悪の事態が起きてしまった……ここもいつまで隠し通せるか分からない。俺たちに残された時間は少ないだろう……明後日の夜、クラウン奪還作戦を決行する」
ベインの宣言にグラブが慌てたようにして言う。
「待ってくれよ。まだマザーにブチ当てるパンドラファイルもどれが有効か分からないんだぞ? 二度のチャンスはないんだ。ODデバイスだって人数分揃っちゃいねぇし、明後日までに使えるようには出来てもとてもじゃないが……」
「だからと言ってこのままいつになるか分からない確実性に縋っていても、リスクが膨らむだけだ。町中でマザーの警備アンドロイドの聞き込み捜査も始まっているだろう。メンバーの誰かがそれに捕まってみろ、全員まとめて一発でアウトだ。あいつに計算出来ない事をするんだ、今賭けるしかない」
どちらの言いたい事も分かる。故に誰もが沈黙してしまった。
実際問題、マザーの活動を停止させるために必要な専用ファイル「パンドラファイル」は複数のサンプルが作成されており、その中で最も効果が期待できるファイルがどれかはまだ分かっていない。
そしてもう一つの作戦の要である「ODデバイス」はフルダイブゲームのデバイスをベースとした機械だが、本来想定している人数分には到底足りていない。
これらを使い様々な地点からマザーに対してアクセスし、一人でも多くマザーの元に辿り着きパンドラファイルでマザーを封じる、これがベインの言うクラウン奪還作戦の大まかな内容だった。
誰がどう見ても分が悪い賭けだった。
いや、無謀と言った方が正しいだろう。
メンバーはベインの言葉に賛同しかねていた。
だが誰も怒ったり不満を口にする事はなかった。
普段冷静に合理的な指揮でメンバーを取りまとめていた彼だからこそ、この判断は単なる思い付きではないと分かってしまうからだ。
「ベイン、今回ばかりは無理がある。言いたい事は勿論分かるぞ。だがな……」
グラブは頭をかきながらゆっくり話し始める。
「勝負に出るにしても最低限の準備ってのがある。後二日程度ではちっとばかし無理があるぜ。これはレジスタンスの技術班のリーダーとしての意見だ」
「それは承知の上だ」
ハッキリとした一言。
グラブは何かを言おうとして、口を噤んだ。旧知の仲だからこそ、その一言に何か感じるものがあったのかもしれない。
ベインは改めてメンバー全員の方へ直り、続ける。
「みんな! ここまで信じて付いてきてもらって、結果このような形になってしまって本当にすまない。だがそれでも俺はリーダーとして、最後まで自分の判断を信じたいと考えている。……シャットダウンシステムが行使された事を知ってから今の今まで、ずっと考えていた。これだけのリスクを皆に強要するのは違う、と……クラウン奪還作戦に参加するメンバーを今一度改めて募集する。我こそはと言う人は、もう一度ついてきて欲しい」
再びメンバーはざわめく。
つまり、この作戦から降りたい人は降りろ、という事だった。
実際降りたい、と心のどこかで思うメンバーは少なくないだろう。
今日までリスクは覚悟の上活動していたとしても、だ。
この活動をすることに死が現実味を帯びた今、意志がぶれるのは仕方がない事だろう。
行動しなかったことによって残された未来が、例えマザーに支配された偽りの安寧だろうと、一人の人間として迷いが生じてしまう。
リスクリターンを比べて損得勘定をしてしまうのだろう。
恐らくここに居る誰しもが「後悔するくらいなら行動したい」という気持ちと「どうしようもない恐怖」の間で苦しんでいる。
皆すぐに答えを出せず、とても長い時間に思える沈黙が続いた。
「わたし、べいんといるよ」
それを破る、少女の声が響いた。
皆の視線が私の膝の上に集まった。声の主はレインだった。
彼女は幼いが、それでも私たちが話している事がどれだけ「怖い事」なのか、それは分かるだけの頭の良さがあった。
その上で彼女はベインに付いて行きたいと、言葉にしたのだ。
レインは決して怯えることなく、強い意思をその青い瞳に宿らせていた。
誰もが驚く中「ガッハッハ」と大きな笑い声を上げたのはグラブだった。
「なぁに悩んでんだろうな俺らは。こんなチビッ子より先にビビってどうする。エド! パンドラの選定はお前に一任する。ニッキーは俺とODデバイスをぶん回すぞ。明後日までに一つでも多く用意する!」
グラブの言葉を聞き、指名された二人を先頭に技術班のメンバーが奮い立って部屋を飛び出した。
「俺らが出来る限り用意してやる、ベイン。何もせずに死ぬくらいなら過労で死んでやるぜ! だからお前は変なこと気にせず前を向いて皆の前に立て」
グラブは喝を入れるようにベインの背中を叩くとそそくさと部屋を後にした。
「あーあ。あんなに張り切られたら実際にダイブする人間が抜けるなんてあり得ないじゃん。全部終わったら一杯奢ってよね」
ODデバイスを使ってマザーに攻撃を仕掛けるメンバー、その内の一人ロゼーネが笑ってベインの肩を叩いた。
「お前ら……」
私はこの時初めて、ベインの泣きそうな顔を見た。
彼の姉が亡くなった時ですら人には見せなかった彼の表情。
レインは足元で彼の腿を撫でていた。
技術班、ロゼーネを皮切りに一人また一人と明後日へ向けて動き出す。
揺れ動く意志たちをまとめ上げた幼い少女は、私の膝から降りるとベインに駆け寄った。
「みんなでがんばろ?」
「ベイン。貴方が一人で背負う必要はないんです。私たちに頼って下さい。貴方だけが強くある必要はないんです」
「コーディー、レイン……ありがとう」
「御礼は全てが終わってからにして下さい。皆さん待ってますよ、貴方の言葉を」
私が動きやすいようレインを抱きかかえると、彼は少し俯いて目頭を押さえた後、施設内の通信用レシーバーを手に取る。
そして意を決したように告げる。
「みんな。俺たちは負ける訳にはいかない。僅かな可能性だろうと掴んでみせる。だからと言って俺は誰かを犠牲にするつもりはない。その為に俺は死力を尽くす!全員生きて勝つぞ!」
ベインの声がスピーカーからアジト内に響き渡ると「「オオオォ!!」」というメンバーたちの雄叫びがそれよりも遥かに大きく響いたのだった。
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「グループV。コード1581、クラウン奪還作戦。始動したようです」
「了解。対応は任せます」
薄暗い部屋で二つの影。
ゴウン、という音と共に揺れたかと思えば部屋に現れた大きなカプセルのようなものに一人入って消えた。
残されたもう一人は暫く微動だにしなかったが、シンと静かになった部屋でヘタリと崩れるように座った。
「私は酷い奴だ。少女レインとして彼らを勇気づけ、最終的にはその思惑を砕こうというのだから……だが青き破滅は止めなくてはならない。例え私が人類の敵となろうとも……その為にはここでシステムを破壊される訳にはいかない」
その瞳には青と赤の強い意志が燃えていた。
【XXXX-XX-XX セントラルフラクタル 制御暗室にて】