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エレクトリカル・トキシック

Composer : 相生あおは


「――――あっはは! あんた弱いねー!」
「はあ、これで何連敗だ…………つうかそもそも、一国を揺るがす頭脳に勝てるわけないに決まってんだろ」
「お、さすがに負けが込んでへばってきたかな?」

 晴れた日の一軒家、昼休みの学校、酒場の一角。
 楽しそうに笑う少女とそれに付き合う気怠そうな軍服の男の声は、そんな何気ない風景を連想させる。
 おかしな話だった。

「当たり前だろうがよ。かれこれ何時間続けてんだ、ポーカー」
「だってトランプを持ってきたのはあんたでしょ? カードゲームなんて、最後の晩餐の付け合わせにはちょうどいいじゃない」

 男は諦めがついたと言わんばかりに、冷たい床にトランプを投げ出して大の字になり寝転んだ。
 暗い屋内に長い通路、そこには二人の声だけが響き続ける。

 ……隔離された世界だった。
 この電脳化が進む世界の中で、この地の底にある居房だけが、まるで中世の遺産のような佇まいのまま残っていた。
 その中で、明るく笑う少女と、カードを手放して寝転ぶ男が並んでいる光景は、どこかちぐはぐに歪んで見える。
 粗末なワンピースに身を包んだ少女は、男が寝転んで目を瞑ったのを見ると、自分もカードを手放し、牢の壁に背を預けた。
 唯一の遊びを投げ出された少女は、それでもどこか満足気に見える笑みを浮かべている。

 

 

 

 


 ユーフォリア帝国が抱える監獄の一つ、その中でも死刑を宣告された者だけが投獄される地下牢獄。
 日の光は届かず、命の鼓動はなく、監視の目もない。粛々と、時だけが流れてゆく。
 どんな猛者も、ここから出ることは叶わなかった。この少女も等しく、やがて日の目を見ることなく、消えてゆく。

 若くしてこの遺産へと身を移すことになったこの少女が、それでも最後に望んだものは、ただ一人の話し相手だった。
 愉悦のための殺しでも、懺悔のための教会でもなく、目の前にいる、一介の兵士だった。

「はー、でも確かに疲れたかも」
「……こう言っちゃなんだけどさ。もう少し、こう……思い残すこととか、ねえのかよ」
「んー? そんなものないよ。当たり前じゃん」

 世を儚むでもなく、躊躇うでもなく、少女は言い放つ。男はつまらなそうに、寝返りを打った。
 少女の罪状は、いわゆるインターネットテロリズム。言葉にすれば、たったそれだけ。
 しかし、少女の場合は規模が問題だった。
 ユーフォリア帝国におけるありとあらゆる国家機密を盗み出し、金になるとあらばテロリストにも、諸外国にすら売り払う最悪の国賊。
 それが、この少女の正体だった。

 


「……なんかさあ」
「なにさ。あ、変に憐れむのとかはやめてね」
「言うなよ」
「一国を揺るがす頭脳の持ち主なので」

 陽気に笑う少女は、まるで世間話をするかのように、気軽に話す。

「だってさ、しょうがないじゃん。女手ひとつでここまで育ててくれたおかーさんが、どうしようもなく食うに困ってたんだよ? 指をくわえて黙ってられるわけないじゃん」
「にしたって、やり方ってもんがあっただろうよ」
「その辺はさ、ほら。溜飲が下がらないというか」
「と言うと」

「あたしがエービーシーも喋れないくらい小さい頃、あのクソオヤジに家を追い出されて。それから必死に私を育ててくれて、大学にまで入れてくれて、親孝行しようと思ったらもうほぼ手遅れ」
「ちょっと病気で働けなくなったと思ったら、年を理由に野放し。技術も経験も何もないあたしだけで、おかーさんを養えるはずもなく」
「……あたしは、目の前でおかーさんが動かなくなるのを、ただ泣きながら見てるだけ」
「こんなの、世界を恨みたくもならない?」

「…………」

 少女の目からは、生きる熱が消えていた。
 力なく垂れた腕は微動だにせず、いつの間にか笑みも失せている。
 次第に平坦になっていく声色に気付いた男は、少女を見遣る。
 男の視界を覆うのは、ただ広がる暗がり、埃っぽい地の底と、少し賢くて義理堅い、とある娘の成れの果て。
 男は思わず、眉をひそめた。

 

「……結局さ、みんな自分が可愛いじゃん」
「そりゃあそうだ。でもなけりゃ、お前みたいな爆弾は生まれない」
「そうだね。あたしは色々運が悪かった。クソオヤジも、おかーさんも、生まれた世界も」

 幸せな者がいて、不幸せな者がいる。
 文明の発達は、過去を顧みてみれば、結局のところその繰り返し。
 奪う者と奪われる者、統治する者とされる者。自然においてもそうだ。常に力のある者が上に立ち、力なき者は淘汰されていく。


 この少女は、不幸せな側の者だった。
 それだけだった。

「理想郷なんてものがあれば、あたしはそこに生まれたかった」
「みんなそうだ」
「ただ、幸せになりたかっただけなのにね。何が、違ってたんだろうね」

 少女の、小さくか弱い独り言。
 それは間違いなく、この世界の犠牲にされた者の、悲痛な慟哭だった。

「……やっぱり。俺はお前を、放っておけない」
「でも、どうしようもない。そうでしょ?」
「…………そうだな」

 


 男は、顔を背けた。

 

 

 


 ユーフォリア帝国では、都市の未来化や宇宙の開拓、その他諸々の科学技術の発展が本格的に推し進められている。
 諸外国も、後に続くように技術を進歩させ、いずれ広い宇宙に旅立ってゆくのだろう。
 そしてまた、歴史は繰り返すだろう。手つかずを奪い合い、戦火を撒き散らし、他を退けながら、それぞれが進んでゆく。
 限りのない空を飛び回っては、永い時間をかけ、また繰り返してゆくのだろう。


 主を失い、再び静寂を孕んだ地下牢獄の壁には、かすかに埃が象る人型が残されていた。
 牢獄に香を残した者は、ある男の言葉により、音もなく安らかに、灰となった。


 空に旅立つ者たちに、その魂を地に縫い付けられたまま。
 

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