Composer : 宇津める
今、俺は飛び降りる準備をしている。
こう書くと、まるで俺が自殺志願者のように見えるが、「半分」ハズレだ。
どうしてハズレかを言及する前に、まず俺が何者かを名乗る必要があるだろう。
今俺を覚えてる人間なんて、それこそ数えるくらいしかいないだろうし。
俺は数か月前まで、やたら人気のある役者「だった」。別に不祥事がどうのこうのとかそういうことじゃないんだが、ぱったりと仕事が消え、代わりに別の奴がキャーキャー言われていた。どこぞの座長の不興を買ったかと思ったが、別にンなこともなさそうで、世間様ってのはとことんお気楽なものだと思った。
俺自身も何故人気があんなに出たのかわからない。思い当たる節があるとすれば、あの公演に出演したくらいで、それまではしがない役者だった。なぜか一時期忙しくあっちこっち飛び回り、それこそ寝食を惜しんで活動したが、それもこのザマ。今では役者らしい仕事はほぼない。
きっと、俺の「仕事」とやらは、世間様にとって「素晴らしいパフォーマンス」ではなかったんだろう。出演が決まる度に、過去を掘り起こされ、交友関係や親族、昔の頃の絵や写真、果ては見せたくもないガキの頃のラブレターや、もう話したくもない失敗談などを面白おかしく取り上げられた。仕事の為と耐えてはいたが、もうこういった「隠していたモノ」がなくなると、民衆は一気に興味を失う。骨の髄まで俺はしゃぶりつくされた、ともいえる。
そうして興味を失ったまま、俺という存在はゴミ箱に捨てられた。まぁ、これもある意味良かったのかもしれない。さっきも言ったが俺は仕事の為にと色々耐えてきた。このまま続けばどこかで限界がくるか、何かやらかして「舞台」から消えてるだろうし。
輝かしい「舞台」はいつまでも続く。
歓声と割れんばかりの拍手は素晴らしいパフォーマンスを行ったものへの称賛だ。
だがそれは、飽きっぽい観客に対して如何に取り入るかと同義。
そしてそれこそがこの「舞台」の本質だ。疲れたから、俺は一抜けさせてもらおうって寸法だ。
あ? 口ぶりで誰か思い出したって?
そうかよ。じゃあせめて今騒がれてるやつくらいは覚えてやんな。
俺と同じような気持ちになるやつを、あんま増やしたくないし。
でもまぁ、案外この身分も気ままなもんだ。
スポットライトは最早当たらないし、今となっちゃ当たりたくもねぇが、だからこそ得られる自由ってのもあるらしい。
窮屈に生きる暮らしからは、これでサヨナラってワケだ。
何をするも自由。ただ我の従うは自然の理のみ也。
……なんてな。いくら役者でも風来坊にはなれねぇからな。
さて、そろそろか。
じゃあな、「観客」さん。
―うららかな春の日、屋上庭園にて―