亡国のエニグマ
Composer : S-ROUTE
ふと足下にこつん、とした感覚。見ると、そこにはメモパッドが落ちていた。
拾ってパラパラとページをめくった。なにやら流暢な筆記体で、謎の殴り書きがされている。
唯一読めそうなページは――っと
※これはイメージ画像です。実際は帝国の言語で記されています。
ぱっと裏を見ると、Sjoerd van der Kloosterと書かれている。なにやら北方人のような響きだが……そうだ、シェルト=ファン・デル・クローステルといえば、数年前に亡国の遺構を発掘した超有名人だ。そういえばあの後彼はどうなったんだろう。
おもむろに端末を手に取り、ぽつぽつと検索をする――嫌に古いコラムしか出てこないが……。一番新しいもので、遺構発掘から数ヶ月後に執筆されたコラムだった。
その昔、大陸の北の低地、どのどこかにマオテリアという名前の王国が存在した。
黄金の花托に純白の冠を携えた花の紋章が印象的で、広大な干拓地を有していたと言われている。王家の人間は紋章にある花のように鮮やかで美しい金瞳を持っており、その金瞳が途絶えたとき、国も静かに滅びを迎えた……という伝説がある。
この国を舞台にした、ないしは国にまつわると思われる歴史小説や言い伝え、書物の類い、王家の紋章が刻まれた物品、そして戦争の記録に至るまで、史料らしきものは腐るほどあるのだが、いかんせん実際の遺構が何も存在しないため、長らくその実在は疑問視されているというわけだ。
そういうわけでこの国は、神話上の存在か、いくつかの似たような記録を組み合わせるうちに創作された国家かというのがつい最近までは常識となっていた。
この謎を解き明かした界隈の若き奇才こそ、シェルト=ファン・デル・クローステル――わずか13歳で大学院を卒業し、現在は研究者として諸外国を飛び回る神童である。その頭脳は幼少期から抜きんでており、知能検査で「今の検査項目では正確な値が計測できない」と検査者に言わしめたという。彼を巡って数々の大学が熱烈なアタックを仕掛けたというが、その心を射止めたのは、数学でも医学でも科学でもなく、なんと歴史学・考古学だった。(当の人文学界隈はまったくシェルトに興味を示していなかったようである。てっきり技術者になるものだと思っていたらしい)
そのあどけない笑顔から繰り出される驚異の観察眼と、年齢相応の自由な発想力で、いまや彼は帝国中を熱狂の渦に巻き込んでいるわけだが、最近では自ら住居を建築ししばらく生活した後に、放火を行って遺構を調査する研究で民衆の度肝を抜いた。大学院は土地の確保や国の許可を得るのにいたく疲弊したとかしていないとか噂されているものの、本人にとってはなかなか有意義な研究だったらしい。
そしてある程度の研究をこなしたのちに、シェルトはマオテリアの発掘に乗り出すことになる。その理由について、彼は「誰も成し遂げてられなかった課題を解決したいと思いながら今まで研究をしてきた」と語っている。
当時マオテリアの発掘調査には、多くの考古学者が挑み、挫折していった。それもそのはず、いくら史料をもとにした調査とはいえ、広大な低地で検討をつけるのは極めて難しい。航空機を飛ばしても、ナラやブナに覆われている森や厚く生い茂る草ばかりで、どこに何があるか分からない。伊達にその存在を怪しまれていないのである。
そこでシェルトは何を思ったか国立応用科学大学に足を運び、とんでもない秘策を編みだした。
その内容はこうだ。
まず飛行可能な自律機械を大量に用意する。その機械にレーザー照射機能を搭載。低地を一斉に飛行させ、地面に向かってひたすらレーザー光を照射し、物体に当たって跳ね返ってくるまでの時間を計測・記録していく。その記録データを計算し、木の高さを省き、地面までの高さを求めて標高マップを作成。人工物の痕跡を探り当てる。痕跡が見つかれば、高解像度レーザー照射が可能な航空機を飛ばしてより詳細なデータを得る。
――と説明するのは簡単なのだが、レーザー照射や自律機械はともかく、その「計算」式とやらはどうするのか、と多くの技術者がいぶかしんだ。しかしながら答えは簡単。この奇才(と、凄腕の技術者たち)がいちから作ればいいのである。人文学者が自然科学や数学に弱いなどというのは言い訳に過ぎないと言わんばかりに、数学者や科学者と肩を並べて日夜計算式の試行錯誤に没頭した。「マオテリアの発掘」というと、一目には直接帝国の発展に繋がりそうな研究ではないが、こうして応用科学大学の研究者や実験段階にある技術を巻き込むことで次々と資金を調達することに成功したのも、この奇才の妙案といったところである。(大学も大学で、本来自分の界隈に欲しかった才を一時的に引き入れることができるのだから、断るはずも無いということだ。あな恐ろしや)
そうはいってもこのような大規模なことをしていては一瞬で終わる研究になるはずもなく、この発掘調査は数年に及ぶこととなる。この間、調査に必要な作業とは別に、シェルトはマオテリアに関する史料はもちろん、創作物も並行して調査を進めていった。 これがなかなか膨大な量だったようで、毎日のように「サヴァン・クロエの目が欲しい」と嘆いていたようだ。通常の感覚からすると、どちらも常人ではないのだが……。
そうしたなかで、彼はひとつ引っかかる書物に行き当たった。『ピュイロンドレ歴史物語』と呼ばれる、500年近く前の短編物語集――の、ひとつである。この書物は原本が見つからない代わりに複数の写本が存在しており、校合を経て特定された最善本が現在書物として出版されている。このなかにおそらくマオテリアを舞台にした短編が残されているため、彼はその複数の写本を全て読み、その違いを記録していった。
短編の大筋としては、(「帝国」「王国」の表記ぶれがあり判然とはしないが、おそらくマオテリアとみられる王国の)近衛騎士オルトヴィーンが、王室の姫君エリザベトと「離れ難き契りを交わす仲」となり、駆け落ちを試みるも、国境近くで殺害されて夢破れる、というものだ。姫君エリザベトは「黄金のまなざし」を持つとされ、これはすべての写本で言及されている。また南側に位置する山岳地帯が国境となっていたり、晩冬の降雪時にも馬車が走れるほどの積雪量であったりといった描写を踏まえて、文学者や歴史学者からは高緯度の低地――すなわちマオテリアが舞台であるという見解がなされている。また、書かれた時代や他の史料と比較して、おそらく(もし実在していたとしたら)王家末期ごろの出来事ではないかという推測もされている。
その写本のひとつ――時代はそれなりに古いが、細かな描写が全く異なり、あまり研究もされていないもの――に、驚くべき記述があったことをシェルトは発見した。
最善本にこのような記述がある。
「すでに涙も枯れてしまったと思える姫君の瞳は、夜に浮かぶ燈火のように強く輝き、その炎は騎士の心をも燃え上がらせた。」
当該の写本ではどうだったのか?
「すでに涙も枯れてしまったと思える姫君の瞳は、夜に浮かぶ燈火のように強く輝き、その炎は騎士が湛える菫の色を照らし上げた。」
校合をした文学者の考察によると、「菫は謙虚さや忠誠心の象徴だ。最善本にいたるまでに、この『菫』は『姫への忠誠心』と解釈され、『心』に置き換えられていったのではないか」とのことだった。確かに、後世の写本では「菫」の表記が消え、すべて「心」となっている。さらりと扱われて終わってしまったこの異動。
しかしながら……これが、この『菫』がもし、オルトヴィーンの瞳の色だったとしたら? 「離れ難き契り」がつまりそういうことで、エリザベトが子を成していたとしたら……?
そしてオルトヴィーンが死んだ後のエリザベトは「隣国の皇太子」なる人物との縁談をまとめられそうになるものの、オルトヴィーンと駆け落ちを試みたことが漏れて破談となり、修道院で余生を過ごしたとされている。もしもその証拠が、ふたりの子だったとしたら、そしてそのふたりの子は金色の瞳ではなく、紫色の瞳を持っていたとしたら、どうだろう? 縁談相手が駆け落ちに気がついたことも容易に想像でき、つじつまが合う。
ピュイロンドレ歴史物語にエリザベトの兄弟姉妹が出てくる描写は一切無い――ということは、これを機にマオテリア王家が断絶したと結論づけられる可能性が出てくるわけである。
――それは普通の大人ならまず考えないような、突拍子もない妄想だ。ろくに成人もしていない子供だから思いつくような奔放な話だと分かっている。ゆえにシェルトはしばらくこの予測を誰にも話さず、自分の端末にメモするだけに留めておいたと話している。
しかし、発掘を目指すなかで、こういったいわゆる「妄想」をするロマンに、彼は精神を支えられていたようだ。
そんな生活を送ること約1年、自律機械や計算式の準備も整い、いよいよ盛大な調査が幕を開け、低地へ向けて機械が飛び立っていく。(まだ若いが)15歳になったシェルトは、以前よりもほんの少し高い場所から森を見下ろしていた。
数日後には9割近くの自律機械が帰還し、即座に応用科学大学での分析が行われた。奇才の作戦は見事成功。帰還した自律機械のうち1台に、わずかではあるが人工物と推測できる直線上の痕跡が発見された。すぐにレーザー照射機を搭載した航空機が派遣され、詳細な調査が開始。そこではじき出された図面は、ブナの森の奥深くに、広大な遺構の存在を示唆するものであった。
ここまで到達すれば、あとは一瞬のような出来事だ。航空機を派遣した現地へ、陸路で向かう。道なき道の中で熊が出現する可能性もあったため、とうとう生物学や地理学の専門家なども巻き込んだ大規模調査となった。集合知による世紀の発見に繋がるかもしれない。学者だけでなく、多くの帝国民がこの話題に注目していたのだ。
果たして、そこに確かにマオテリアは存在した。
数々の文学者が「この遺構はあの物語に出てきたどれそれの建物だ」と驚きを隠せず、歴史学者は建物に刻まれた紋章が確かにマオテリアのもので間違いないと判断。最新技術と若き少年のもたらした発見は大ニュースとなって、国中を駆け巡ったのである。
さて、そんなシェルトの今後については、メディアで語られているとおりで、いったんは考古学を離れるという。マオテリアで発見した「とある仮説」を証明するためであると本人は述べており、そのためには「まずは物理学の学びが必要」であるとしている。
しかしながら、肝心の「とある仮説」については、「確信できていない理論を発表するのは、学問を生業とするものとして正当な行為ではない」という理由で、いまだに明確なコメントを避けている。謎に包まれた彼の仮説が証明されるのはいつのことだろうか。
……。
――ふむ。
やはり数年前に騒ぎになったまま、彼が今何をしているのかは分からないままだ――おっといけないいけない。読み物をむさぼっていたが、いま手にしているこのメモパッド……とりあえず落とし物は落とし物なので受付に届出をすることにしよう。
「落とし物ですね」
受付の女性がにっこりと笑う。試しにこのメモパッドについて、聞いてみることにした。
このメモパッドの持ち主はシェルト=ファン・デル・クローステルらしい。律儀に持ち物に名前を書く人なんだな、あなたは覚えているか、と。
「シェルト=ファン・デル・クローステル……? どなたでしょう」
ほら、あのマオテリアの遺構を見つけた――
「そんな人いらっしゃいましたっけ? 国立応用科学大学のチームの学生か誰かですか?」
――どうも話が噛み合わない。そうだ、さっきのコラムを見せれば――と思って、携帯端末を取りだしたら、見事にそのページは接続不良を起こしていて――
おかしい。何かがおかしい。まるで彼が最初からこ縺ョ世に存蝨ィ縺�て縺�↑縺九▲た縺九�繧医≧縺ェ
国立図書館にいた誰かの記憶