top of page
880↑8↓088

880↑8↓088

Composer : タケミ

目を覚ましたようだった。
薄暗く、冷えた空間。そこにどうやら自分は居た。
身体を起こす。
 

「ボーン、ボーン」丁度時計の音がした。

音に気をひかれ、そちらに目をやると一人の女が壁掛けの時計の下に居た。
壁に背をやり、マグカップで何かを飲みながら、もう片方の手で何か本を読んでいた。
こちらが見ていることに気が付くと微かに笑い、近づいてきた。

「随分と長く寝ていたよ。ぼーっとしているけど誰が誰か分かる?」

彼女は自分の前に座る。目を擦り、改めて周囲を見回す。
互いに腰を掛けているのは少しかための茶褐色のソファ。
正面にはオシャレなバーカウンター、天井には小さなシャンデリア。コンクリート剝き出しの一室には不釣り合いなインテリアにはどうにも見覚えがあった。
いつ見たか、それは思い出すことは出来なかった。
もしかしたら単に見た事があるような物なだけかもしれない、そう言えるだけのありきたりさをそれらからは感じられた。
そんなことに気を散らせて彼女の問いに答えずにいると、

「まあ私は君を預かってるだけだからね、別に分かってもらえなくても良いんだけれど」

彼女はそう言って不貞腐れたように持っていた本に目を落とした。
ここが何処かも分からないが、彼女はここに住んでいるのだろうか?
彼女は独特な雰囲気を持っていた。
派手な髪色といい活発な印象の若者、と言ったように見える。
かと思えば落ち着きのある様相で、大人びているようにも見える。
受け取り手の見方でどうとでも取れる、それが彼女の印象だった。

暫くして女は嬉しそうにしながら本を高く持ち上げ、

「人は何処から来て何処へ行くのか。天の下に生まれ地に還るのでしょう。万事に時あり。私と君の出会いも名を知れた事も。全て大いなる何かの手の上なのかも」と言い出した。

よほど分からないというのが自分の顔に出ていたのだろう。
彼女は笑いながら「これは本に書いてある事だよ」と後付けて言った。
本、彼女が読んでいるそれにはカバーがされていてタイトルは分からなかった。
何やら小難しい事を言われたが、当然理解は出来なかった。
そもそも今は自身の事を理解することで手一杯だ。

「そうだなぁ、君はここに何を知りに来たのかな」

そう思った時、まるで見透かすように彼女は問いかけてきた。

そんなことを聞かれても分かるはずがない。結局何故自分がここに居るかも思い出せないのだ。
強いて言うなら何でも知りたい。
少しでも今の状況を説明出来る事であれば何でも知りたいのだ。

「何で自分がここに居るかを知らないの?」

素直に一番知りたい事を聞いてみた。
彼女は「君を預かっている」と言った。ならばこの今の状況を自分より知っているはずだ。
だが彼女は首を横に振る。

「君の事は君しか知らないよ」

ただ一言、バツが悪そうに言うとまた本を読み始めた。
ふと考える。そもそも彼女とは初対面なのだろうか?
彼女との事に限らず、何か思い出そうとしても思い付かない。
そもそも自身が誰かも分からない人相手に、どこかも分からない場所で思いの外落ち着いているのも不思議だった。
実は知っている場所、人なのではないか?
そう考えた時にこの状況に一番都合が付く答えが浮かび上がってくる。

「自分は記憶障害になっているのかもしれない」そう伝えた。

すると彼女は読んでいた本を閉じ、そして何も言わずこちらを見つめる。何か変な事を言ってしまったのだろうか。

「この部屋からは分からないかもしれないけれど、今は真夏。うだるような暑さだよ。外には出れないけれどね」

急に何を言っているのか。分からず首をかしげてしまう。
確かにこのコンクリートの部屋には窓はないので、彼女の言うように外の状況は分からない。
隅の方の高い位置に換気用か、鉄格子のようなものは見える。
インテリアで飾られているが、そう考えると独房とすら思わせる部屋だ。
時々鉄格子の方から風を切るような音は聞こえる。

彼女は空になったカップを手に取りカウンターへ向かい、君も飲む?とコーヒーを勧めてくる。マイペースな人だ。

「砂糖もミルクも無いんだけれど良いかな。私が使わないから無いんだよね」

あまり飲む気にはなれなかったが、無下にするのもどうかと思い、縦に頷く。
彼女がカチャカチャと音を立てて支度を進めると、コーヒーメーカーがコポコポと音を立て始める。
おおよそがコーヒーメーカーと聞いてイメージ出来るままのデザインと言えるそれは、細かく振動している。
よく見ると土台の部分がグラグラと揺れる不安定な台の上にのっていた。

「それ、倒れそうで危ないよ」

「それ……?ああこの台の事?これも本体の内みたいなんだよね。意外と外れそうで外れないんだ」

彼女はコーヒーメーカーの頭を掴んでケタケタと笑う。
思えばさっきまでと違って一段と明るくなったような気がする。相当な気分屋なのだろうか。

カタコトカタコト。

彼女が手を離したコーヒーメーカーは再び音を立てる。
その音を聴いていると、風の音が強くなっていることに気が付いた。

ある時、思い出したかのように、唐突に彼女は聞いてきた。

「今は何年、何月何日だと思う?」

 

すると目を覚ましたようだった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

眩しい光が蘇る。

「夢を見ていたのか」と小さく呟く。

少し意識は混濁しているが、見ていた夢よりはハッキリとしている気がする。
ここは、夢でも見た彼女の部屋だ。

「随分お疲れだったようだね」

キィと音を立てて、離れたカウンターチェアを座ったまま回しこちらを見ていた。

「キプリス、寝てしまっていたようだね。すまない。集中を乱したかな」

「いいや、丁度手を止めた所だよ。休もうかと思ってね」

そう言うと彼女、キプリスはノートパソコンを閉じ、こちらへとやってくる。
私は彼女をよく知っている。
夢で見ていた女は、彼女だった。
いや、正しくはモデルとなった人物になるのだろう。
本来の、実際のキプリスは売れない物書きだった。
売れない、とは言え本として形になり、世に出回っている。
それを成功していると言うかどうかは分からないが、その為にしてきた努力を私は知っているから、形に出来た彼女を尊敬している。
そう。今日はそんな尊敬する彼女に、新たに書きあがった作品を見せてもらうつもりで訪れていた。
何故か彼女は、まず私に作品を見せたがる。
私は物書きではないし、特別目が肥えていたりするわけではない。
初めに頼まれた時にその事について訊ねた。
すると彼女は「何も知らないから良いんだよ」と笑って言っていた。
その発言の真意は分からない。
何せ彼女との付き合いは浅くはないが、キプリスという人間を私はまだ到底理解しているとは言えないのだ。
彼女は独特の感性を持っていて、時折言っている事を理解するのに私は時間がかかる事もある。
バックグラウンドも大きく違えば、年齢にも割と差がある。
流されるままにレールに乗っただけの人生の私とは大きく違って、彼女はやりたい事をトコトン突き詰められる人間だ。

そんな何もかもが違うと言っても良い彼女との出会いは、とあるバーで飲んでいた時に話しかけられた事が始まりだった。


私は特別お酒が好きな訳ではないが、機会を設けてそう言ったお店で落ち着いた時間を過ごすのは好きだった。
特に気に入って足繫く通っているバーがあり、休みの日にはよく利用している。
あまり良い立地とは言えない所にあるバーだが、店内はとてもオシャレな雰囲気で、マスターの人柄の良さも相まって客の入りは決して少なくない。
そんな店で頻繁に見かけ、いつもノートパソコンを広げて何か打ち込んでいる人間。常連らしい客の中でも一際目立つのがキプリスだった。
最初は喫茶店やファミレスじゃあるまいし、と思っていたがマスター公認らしく、決まって一番奥の隅の席に座り電源を取りながら勤しんでいた。
わざわざバーに来て、仕事か何か分からないが気の休まらない作業をしているなんて、とあまり当時の印象は良くなかった。
だからこちらから変に関わる事もないだろうとその時は思っていた。
そう思ってから随分と日が経ってからだった、キプリスに話しかけられたのは。

その日は偶々混んでいて、空いている席が彼女の隣の席しかなかったのだ。

「こんばんは。あなた暫くずっと通ってるね」

唐突にそう声を掛けられて吹き出しそうになったのを覚えている。
私が彼女の事を不思議に思って時々見ていても、彼女はいつもノートパソコンに齧り付いているので、こちらの事を認識しているとはあまり考えて居なかった。

「熱い視線を感じたら流石に見返す事もあるよ。肩の力を抜いたタイミングとかね」と彼女は冗談めかして言った。

「よく見かけるので気になってしまったので。時折目を向けてました。お気に障られたのでしたらすみません」


「大丈夫、割と変な目で見られることは多いから。まあそれも一つ、私がここで書いている理由の一つだし気にしないで」

そう言うと彼女はパソコンの画面をこちらに向けた。

「幼い頃から物書き目指してやっててね。今は小説。詩とかに手を出してた時もあったけど、ここ数年でまた小説書こうって思って。ここで書くのも人間観察とかそう言うの込々な所があるんだ。家に篭りきりよりもやっぱり何かの刺激があった方が良いなって思うからね」

画面にはびっしりと文字が並んでいた。

「いつも熱心に取り組んでおられるので何かと思っていました」

「そういうあなたは?どういった目的でここに居るの?」

どういった目的?強いて言えば心を休ませるためだろうか?

「バーを楽しむのが目的です。むしろそう言う感覚の人ばかりだと思ってました」

「ふーん。確かに」

納得したのかしてないのか良く分からない返事だった。
この時既に「この人とは価値観とか合わないだろう」と薄々思っていた。
だが私は何故か落ち着いた気持ちで話せる相手だとも思った。
その日はそれ以上話す事はなかったが、向こうも同じように思ってくれた、のかは分からないが、お互い同じ常連という事もあり、それから話す機会は徐々に増えていき、気付けば友人として長らく接している。
良くも悪くも気兼ねしない他人。ある程度の信頼感とお互いを尊重している関係。
当時はぼんやりとした心地良さ程度に思っていたが、遠すぎず近すぎずの距離感が丁度私の求めていたコミュニケーションだったのだと今になって理解している。
変に上辺だけの共感をするような質でもなく、そもそもお互いの違ったタイプの人間なので意見を交わせば新鮮な発見がある、それが楽しい。
だからだろうか、私は頻繁に彼女に日々の出来事を話す事にしている。
ありきたりに「インスピレーションがわけば良い」というのは半分建前で、私の平坦な日常に彼女の角度からの感想は彩りを与えるスパイスだった。
もしかしたら彼女が私にいの一番に作品を見せるのは、それと同じ事なのかもしれない。今そう思った。

ともあれ、「新しく書いた文章がひと段落付くから」と連絡を受けてやってきた所までは覚えているのだが、何故寝ていたのか。分からない。
待っている間につい眠ってしまったのだろうか?

ふと気が付けば彼女は自分の前に座っていた。

「何か面白い夢でも見たかな?」と言ってこちらを見てほほ笑む。

私は曖昧になりつつある夢の内容を彼女に話した。

「なるほどね。ありがちだけど面白いね。にしてもブラックが飲めない私が砂糖もミルクも使わないって言うのはどうなのかな」

「本当に、彼女は君そのものという見た目をしていたけど、全然違ったよ。まるで真反対とでも言うのかな」

「真反対?という事は君に似ていたのかな?」

「流石に裏表だけで語れるほど単純ではないと思うよ、人間って。それにコーヒーに関しては私もブラックはあまり得意じゃない」

「確かに」とキプリスは笑って言った。

「でもそれだけ違っても、これは夢だって気付かなかったんだ。私自身の事もだけど、君の事も何も分からないってなっていたし」

「それが面白いよね。よく夢は記憶の整理だとか言うけど、全然欠落しちゃってるじゃんって。勿論これは短絡的にそう思っちゃうってだけだけどさ」

「人生でこれだけ何度も夢を見ていても結局夢の事なんて何も分からないんだなって思った。どんなおかしな状況も夢を見ている間はそれがまるで現実かのように、自然と受け入れているんだよね」


「現実だったらどうする?」


キプリスのさらっと言った言葉が鋭く響いた。
まただ。彼女はこうして時折理解に時間のかかる事を言う。

「例えばだよ。私たちが現実だと思っている今をメインとして。夢という無数のサブがあると考えるのはどうかな。それらをどう捉えるかはお任せする。並行世界とかでイメージするとそれっぽいかな?今ここで話している私たちが私たちとしての主導権を握っているから現実と主張しているだけだとしたら?夢が夢であると気付けないのではなくて、夢が現実であるから疑う余地がないと考えるのはどうかな。……流石に無理がある?」

そう言って少し照れくさそうにする彼女に「流石に、無理があるんじゃないかな」と合わせるように答えた。
思っていた以上にとんでもなく荒唐無稽な話だった。
だが、そう言った空想的な話は面白いと思った。

「その理屈で言うなら、夢であることに気が付くって言うのは、メインである現実が強力な主導権を握っている状態。そして夢と現実が段々分からなくなるって言うのは、メインがサブに主導権を奪われつつある状態って事になるのかな」と私が自分なりの理解を示すとキプリスは目を輝かせて頷いた。

「良いね。こういう身にならない話をしているのも楽しいよ。やっぱり君と話すのは楽しいね」

「ボーン、ボーン」丁度時計の音がした。

「もうこんな時間か。そろそろ新作を見て貰おうかな。多分ビックリすると思うよ」

そう言って彼女は腰のあたりに置いてあったファイルからいくつかの紙を取り出した。

「いつも驚くような作品を見せて貰ってるから、もうそう簡単には驚かないよ」

私は受け取ると早速それに目を落とした。

「今回は抜群だよ。なんてったって、まさに夢の話だからね」

なんだこれは。
紙を持つ手に力が入る。
おかしいじゃないか。

「人間は沢山夢を見るんだ。そこにいる自分は人間的な自分に限らないと私は思う。だから目が覚めた時、安心して現実を実感する。だけど現実だと信じているとある時、目が覚めてあっという間にそれが崩れてなくなるんだ。私たちの夢と現実は裏も表もない」

彼女の新作に書かれていた内容は、まさに私がさっき話した夢の内容で。曖昧になり霧散しかけていたそれが急速に濃度を増し私の中へと襲い掛かる。

今は真夏日で、鉄格子の向こうでは風が鳴いていて、私は彼女の新作を読みにここに来ていた訳で、コーヒーメーカーはカタコトカタコトと音を鳴らし、天井の小さなシャンデリアはバーのもので、今座っているのは。


私のキプリスとのこの思い出は?


「その次の瞬間、」

 

 

 

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

目を覚ましたようだった。

 

-とある果ての無い悪夢より-

bottom of page