Claíomh
Composer : syreler
かつて、魔討ち払ふ光の剣ありき
臆病者はそれに触るることすらせられざりき
勇者がひとたび振るはば万の悪を薙ぎ払い
人の世に永遠の繁栄をちぎらむ
画面に表示されている「古代帝国語のような何か」に、私は思わず苦笑いしていた。なんだよこれ、語尾がそれっぽいのに肝心の単語が現代の言い回しのおかげですごくちぐはぐになってる。言いたいことは伝わってくるが、テストでこれを書いたら点数は間違いなく0点に等しいだろう。
「でもこれ、新しいイベント武器のフレーバーなんだろうな…っと。あ、これか」
これか、と特設ページを開けば先ほどのフレーバーテキストの内容の主、イベントの報酬アイテムである剣がでかでかと表示された。名前は「魔法光剣クラウソラス」というらしく、名前の横にURとレアリティが表示されていた。
何の話かといえば、画面の前に座るそばかす女こと私が学校をほっぽり出して終日興じているオンラインゲーム「マギ・ア・マギ・オンライン」―通称MAMOの今シーズンのイベントアイテムの話である。これを読んでMMORPGのゲーム内イベント報酬の話であると分からない諸氏はぜひ私のゲーム実況動画を閲覧していただきたい。
…などと、どこに向けた解説なのかもよくわからない独り言をつぶやきながら、イベントの詳細などを読み進める。なるほど、この内容なら固定パーティを組んでいない私でも、時間さえかければこの剣を獲得することは難くないだろう。おそらく、この話を聞いている諸氏に向けてこのアイテムの性能などを説明することは蛇足だと思うので、ここでは一言私の感想を述べることにする。
「えっ、カッコよ…ゲットするかあ」
もっと映えるセリフが言えないものであろうか。今更それを考えても仕方ないので、今後の研究課題とでもしておこう。
ともかく。通常であれば性能も最高クラスから一歩引いているような、いわゆる見た目だけのファッション武器などは積極的に集めない主義を貫き通している私であるが、なぜだか今回のアイテムに関しては奇妙な収集欲に駆られていた。集めたところで使い道もないのだ、どれだけ見た目が「厨二病」的であっても集めない。普通なら。普通じゃないなにかが、あのアイテムにはある気がした。たかが、
「たかがゲームなのにね」
一番嫌いな言葉だった。幾度となく周囲にぶつけられ、そのたびにムキになって反論し、時には大げんかもした。私にとってのゲームは、「たかが」という言葉で片づけられるほど単純なものではない。両親ともに帝国の要衝となる公的部署で長時間勤務し、二人ともが長時間家を空けることが多かった我が家で私に様々なことを教えてくれたのは、ほかでもなゲームであった。ゲームで情操教育を終え、ゲームで勉強し、ゲームとともに成長してきた。学校には長いこと行っていない。学校にはもちろん友人と呼べる存在はいなかったし、だいたい学校の同級生連中は私のことを「オタク女」と呼んで迫害していた。そんなところにのこのこ出ていくほうがおかしいのではないだろうか。
されどゲーム、である。少なくともこの狭い4畳半の部屋で青白いモニタを眺める私にとっては、ゲームは命よりも大事にしているものといっても過言ではないだろう。親の顔より見たゲーム、親より会話したNPC。もちろんサービス開始から発生しているイベントはすべてクリアし、アイテム箱を泣く泣く買い足すほど限定アイテムを集めてきた。今回もその運びとなるはずである。
「じゃあ、早速やりますか…っと」
手に届く位置にあるエナジードリンクをぷしっと開け、一気に飲み干す。いわゆるルーティーンというやつだ。エナジードリンクやカフェイン飲料が直接的に私の身体能力を強化するわけではない。半分程度はあっても、もう半分はプラシーボ効果とかいうものだろう。しかし、ルーティーンをこなすことは、集中力やコンディションを保ち、よいスタートを切るためにも必要である。まあ、わざわざエナジードリンクを飲む理由は、半分がこの体に悪くてたまらない味が好きだからに他ならないけども。
ドリンクの缶を倒れないように設置し、膝にのせていた機械を手に取る。わっかの形をしたこの機会は、ヘッドマウントディスプレイと呼ばれるもので、近年帝国内で急速に普及しつつある次世代のデジタルツールである。これを頭部にゴーグルをつけるかのように装着し、目前に配置されるスクリーン部分と耳の位置に配置されるスピーカーによりダイナミックでリアルな映像表現を楽しむことが出来る。もちろんゲームの業界がこの流れを指をくわえてみているということもなく、ゲームをプレーするのに特化したモデルが発売されたり、ヘッドマウントディスプレイを装着することを前提とするゲームが業界各社から発売されるなど、市場は苛烈を極めた。私が今から興じようとしているこのゲームについてもそれは例外ではなく、昨年から従来のモニターに画面を映して手元のコントローラーでゲームを進めるシステムをやめ、ヘッドマウントディスプレイでの操作に特化させ、MMORPGの次世代をけん引しようとした。もちろんそのゲームの会社だけがそれを実行したわけではなく、ここでも複数のゲーム会社による消費者獲得競争が起きていたのだが、それについては割愛する。ゲームの内容とは関係がないしね。
ヘッドマウントディスプレイ上でMAMOを選択し起動すると、いつものように数秒のロード時間を経て見慣れたタイトル画面が映し出された。ログインすると、幾度かのログインボーナス画面が現れる。それをサラッと流しながら、イベントに参加すべく『期間限定』の文字が光っているアイコンを操作した。ネット上で試聴したイベントのオープニング映像をスキップし、早速クエストを開始する。
おなじみの流れだ。特にイベントの獲得点数を競う「ランカー」としては、毎回通る通過儀礼やマラソンのスタートラインのようなものである。一人の人間としての私は、学校に行かず両親の脛をかじりつくし、この薄暗い部屋で引きこもっているようなオタクでしかないが、MAMOのなかではイベントのスコアは常にトップクラスに位置し、流れるような双剣捌きで敵を一掃する「双剣の巫女 レイン」である。今回のイベントもトップランク争いに参戦し、ファンサイトのトップランカー予想に組み込まれることだろう。
通常であれば。
突然、イベント画面にノイズが走り始めた。アナログ形式のテレビジョン映像のごとく、砂嵐が吹き荒れている。しかし、ヘッドマウントディスプレイにノイズが走るような映像が出る構造はないし、もちろん今までにこんな経験をしたことはなかった。運営に報告して、早いところ復旧してもらわないといけないな。エナドリ1本無駄にしちゃったなー。…などと考えながら、イベントゾーンからホームポイントに戻るべくコマンドを実行するものの、その行為もむなしく目の前の状況は一向に変化しない。
「あれ、なんでホームに戻れないんだ……?」
二度、三度と繰り返してみるもやはり結果は同じだった。ザー、という音はやむどころかその音量を増し、だんだんと思考が追い付かなくなっていく。もやもやとした雑念が次から次へと頭の中を支配し、ついには目の前の状況をただ眺めることしかできなくなっていた。視覚情報としてのノイズも、初めはモノクロ調だったものが徐々に絵具を無作為に散らしたかのような、何かにモザイクをかけたものへと変化していく。それから、モザイクはゆっくりと解像度を増し、ある見覚えのある空間を形作っていった。不協和音がだんだんと音量を下げ、思考が明瞭になっていくとようやくそれが何かを思い出すことが出来た。
「これ、今回のイベントのPVで見た場所だ」
先ほどまで見ていたイベントの告知PVのなかに出てきていた、イベント報酬である魔法光剣クラウソラスが置かれている場所であった。そしてその剣は、やはり映像と同じように部屋の中央に安置されていた。あたりを見回してみるが、古代遺跡のような部屋の中には他のプレーヤーの姿はなく、また入り口や窓のような仕掛けも一切ない。文字通りの密室というやつである。部屋をよく見まわしてみた後、どこかに隠し扉などがないか壁を探ってみるが、結果は芳しくない。
理由はわからないが、どうやってもここから出ることが出来ないこと、そして中央の剣以外に今この場で干渉できるものがないということは理解できた。おまけに、先ほどからゲーム中のメニューを開けなくなっていた。メニューからホームポイントへの帰還、運営への報告、ゲームの強制終了などを行うことが出来るのだが、どうやらそれすらかなわないらしい。だが、この時点でヘッドマウントディスプレイを外すなど物理的な終了方法などを選択することはできる。そしてそれも当然試みようとはしていた。していたのだが。
「え、なんで!? なんで頭に何もついていないんだ!?」
頭に触れようとしても、なぜかヘッドマウントディスプレイではなくレインとしての私の装備品であるヘッドフォンに触れてしまう。つまりこれは、
「ゲームの世界……なのか……?」
自分でもそんな結論にたどり着いてしまったのが恐ろしい。まさか。陳腐なネット小説じゃないんだぞ。などと自分を諫めてみても、この状況は全く変化しないので、私は仕方なく部屋の真ん中にある剣を観察することにした。中央へと歩くたびにこつ、こつと音が響く。足元を見やれば、劣化してできたような凹凸のある石畳が敷き詰められていた。ゲームの中では地面はテクスチャとして表現されていたので、ここまで現実的で精密なものではなかった。もしかするとこれは本当に現実の現象なのだろうか。
クラウソラスはこのゲームの中では二振りの剣として登場していた。淡青色の魔法の光が走る刀身はPVで見た通りであり、この部屋の照明である松明の炎に照らされ鈍く光っている。ケースなどに入っておらず、このまま手に取ることもできそうだ。
「メニューとかないから、装備品として格納されたりはしないだろうけど……」
少し逡巡したのち、二振りとも手に取り重さを確かめようとした。その瞬間。
「ぐッ……う…ぁ……!?」
私のすべての意識を圧倒的ななにかが押さえつけた。とてつもない量の誰かの負の感情が流れ込み、苦しみ、痛み、そのすべてが脳を駆け巡った。叫びや嗚咽を漏らす間もなく、私の処理速度を超える情報が私を支配した。怨嗟の声、幾万の血河、這い寄る死の気配。いずれも私の人生には存在しない情報だ。これは、
「クラウ、ソラスに敗れた、魔の声ッ……!」
負の情報は徐々に私の許容量を超え、意識が薄れつつある。全身が疼痛で埋まり、嘆きの声はその数を増した。もう、耐えられない。「私」が意識を手放すその直前に見たものは、
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!!!!!!!!!」
クラウソラスの刀身に映る、苦悶の表情のまま笑う「ワタシ」だった。
◇ ◇ ◇
立ったまましばらく微動だにしなかったレインであるが、おもむろにのそっと動き出した。緩慢な動きで剣を振るう真似事のような動作をしていたが、その速度はやがて眼に見えぬほど早くなり、舞踊を披露するがごとく部屋を縦横無尽に移動した。さながら、「双剣の巫女」と言われるだけのことはある、流麗な乱舞。その最中、袈裟懸けの一閃が輝きを放ちながら光の刃として壁を切り裂いた。崩れ、壁の向こう側から光が差し込む。夕日に照らされたレインの顔は、嗤っていた。
この日から数日後、ログインエラーが相次いだこのイベントのメンテナンスが終わり、運営は改めてイベント用の告知を打ち出した。イベントの内容はポイントレースからレイドボス討伐戦に変更され、クエストの内容欄にはこう書かれていた。
「討伐対象:魔剣クラウソラスに魅入られた妖巫女・レイン」
To be continued...?
~クロード・ゼンバス著 「マギ・ア・マギ・オンライン 2巻」冒頭より引用~